自分を捨てる

2012年12月2日の礼拝説教要約

聖書:マタイの福音書16:24

イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」

この御言葉はイエスが十字架につけられる前に、弟子達に語られた言葉なのです。弟子達はイエス様に自分を献げて従ってきた人達です。自分を捨てるとはどういことなのでしょうか。

自分を捨てるということは、肉体的だけではなく、心まで主に御献げすることなのです。

ではどのようにして自分を捨てることが出来るのでしょうか。

1.   自分の限界を知ることがなければ、自分を捨てることはできません。

2.   自分の限界を知る時に、諦めるのではなく、神の前に助けを求めることなのです。

3.   神の前に助けを求める時に、神はこの私を助けることが出来る神であることを信じる事なのです。

森山諭は今までは正義が勝つと信じてきたが、社会を眺めると、正しい者が虐げられ、貧しい者が搾取されている、こんな不義は許せないとして、社会改革を志しました。

この革命の成功のためには、失敗した前者の轍を踏んではならないのです。フランスの3月革命はなぜ敗れたのか、日本の百姓一揆はなぜ成功しなかったのかと調べているうちに、人間は徹頭徹尾エゴイスト(利己主義)だと分かったのです。このエゴが取り除かれない限り、どんなに政治形体を変えても、社会機構を改めても、人は救われないのに気がつきました。

共産主義も神道もそこには神の愛がないことを知ったのです。

釈迦は悟りを開いて諦めることを悟りましたが、これでは社会改革は出来ないと知りました。

そして哲学を学んだが、彼は疲れ果てて鉄道自殺を考えたのです。その時に「自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従ってきなさい」との声を聞きました。

そこで神に向かって「何を捨てるのか」と食ってかかった時、「その自分を捨てるのだ」と示されて彼の生涯は一変して戦前、戦中、戦後とキリストの愛を宣べ伝える者となったのです。

       (森山諭著「夕べ雲やくる」自叙伝からの抜粋)