変わらぬ神の右手 岩田 雄之 師

2015年6月21日の礼拝説教要約
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聖書:詩篇77篇1~20節

1.絶望の叫び-集中する信仰者の霊的視点、1人称「私」-

1)v.1-9 霊的な落ち込みの程度・様子

詩篇77篇に登場するひとりの信仰者は「苦難の日」(2節)を送っておりました。しかし、その内容について知ることはできません。しかし、この信仰者の苦しみについて唯一分かることは、その苦しみの「深さ」は相当のものだったということです。それゆえに、彼は神様に「夜、たゆむことなく祈り」(3節)なぜ自分がそのような苦しみの中にあるのかを神様に「尋ね求める」(2節)のですが、その答えをいただくことはできませんでした。彼の苦しみの根本は、この信仰者が神と彼との間にある大きな隔てがあると感じているところにありました。「あわれみをもって愛してくださるはずの神様がどうしてこのような苦しい状況に自分を放っておくのか」という疑問があったのです。そのような苦しみの中で彼はひたすら「一人称」の告白を続けます。「私は、、、叫ぶ」(1節)、「私のたましいは慰めを拒んだ」(2節)、「私の霊は衰え果てる」(3節)、「私のまぶた」「私の心」(4節)、「夜には、私の歌を思い起こし」「自分の心と語り合い」(6節)。この信仰者の霊的視点は、いつも「自分」がこの苦しい状況をどう捉えているのか、悲しんでいるのかといった「自分」の心の思いと叫びに集中します。

2)v.10 霊的堕落のピーク「主の右の手が変わった」

そして、この信仰者の霊的落ち込みのピークが10節です。彼は言います。「私の弱いのは、いと高き方の右の手が変わったことによる」と。自分が弱いのは、苦しいのは、みじめなのは、神様が「変わってしまった」からだと言うのです。自分に対する神様の態度が変化してしまったと。あわれみといつくしみの神様が変わってしまったからだと言うのです。
しかし、この信仰者が抱える問題の本質は、神様にあるのではありません。この信仰者が持つ信仰にあるのです。つまり、大きな苦しみの中で、それまであった神様との関係がなくなってしまったと、「自分の心の中で思う」ところに問題の本質があるのです。10節の「その時、私は言った」とは、彼がその心の中で自分自身に言ったということです。彼は神様は変わってしまったと自分の心の中で「思い込んだ」のです。本当は神様は変わっておられないのに。神様が自分と交わしてくださった契約が終わりを告げたように「私」は感じ、その「心の中」でそう思うのです。彼が霊的に落ち込み続けるその最大の理由は、「一人称の私」が連続するからです。

2.v.11-12 Turning Point 主の御前でみことばを思い巡らす

しかし、不思議なことに、突如、この信仰者の視点は11節から「神様」に向かいます。彼はそれまでだらだらと続けていた自分のことばを閉じて神様の御前で沈黙します。そしてひたすら神様のこれまでもみわざとみことばを思い巡らすのです。そしてその結果、彼は「変わることのない神様の臨在とそのご性質」に気づきます。そして彼は気づくのです。神様は昔から「変わっておられない」のだ、と。むしろ変わってしまったのは「自分自身」だったと。苦しい状況を理由に、変わったのは自分だったと。

3.神への賛美-集中する著者の霊的視点、2人称「あなた」(主)v.13~20

1)ほとばしる神への賛美

13節以降は、この信仰者が11節、12節で神様の御前で静まりみことばとみわざを思い巡らした結果、神様がどのようなお方であるのかを告白します。神様のみことばとみわざを思い巡らした結果から生まれた「応答」です。そして、自分に対して「変わることのない神様」を賛美し、ほめたたえるのです。特に彼は、「神様の創造と贖いのみわざ」について告白します。出エジプトの時代になされた贖いのみわざについて、です。神様はイスラエルの民をご自分の民として選ばれて奴隷の国エジプトから救い出された。そのために犠牲の子羊がほふられて、イスラエルは贖われた。神様が結んでくださったその契約はそれ以来、変わっていないとの神様のご真実を、このとき、この信仰者は気づくのです。そして、彼はこの気づきを通して、10節までにおいては、「自分(私)」から遠く離れていると心の中で感じた神様を、「あなた」と2人称で呼ぶほどに関係が回復します。依然として、この人物が抱えていた苦しみは彼を取り囲んでいました。苦しみをもたらしていたのは、人間関係、病気、経済的問題などだったでしょうか。その苦しい状況は変わっていない。しかし、その中にあって、自分を愛し、いつくしみをもって変わらずにいっしょにいてくださる神様がおられるという確信が、この信仰者を支えたのです。

2)変わらぬ神のご性質-イエス・キリスト-

そして、最後に、新約の時代に生きる私たちが気づくべきことは、この恵みの約束、変わることのない神様が共にいてくださるとの約束は、イエス様によって成就したということです。私たち罪人をその罪から救うために、人となり、十字架につけられ死なれ、墓に葬られた私たちの主イエス。そこからよみがえり、罪と死に打ち勝ち、天にあげられた勝利の主イエス様。このお方がこう言われる。天にあげられる直前に言われた弟子たちへのことば。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28章20節)。つまり、こういうことです。あなたを取り巻く人々が何かの理由であなたを離れようとも、わたしはいつもいっしょだ。わたしのゆえに、苦しみに会う事があっても大丈夫。わたしがいつもいっしょだから。大きな苦しみの中で、あなたが霊的に落ち込み、あなたが変化することがあっても大丈夫。わたしは変わらない。わたしは変わらず、いつくしみと恵みをもってあなたを支え、あなたを励まし、わたしの弟子としてあなたを何度も奮い立たせる、と。