主イエス・キリストを知る 佐藤 明男 師 トロント日系福音教会

2015年8月2日の礼拝説教要約

聖書: 第二ペテロ1:5-8

ペテロの言っている「あらゆる努力」とは、どのような「努力」なのでしょうか。

それは、まず、私たちの与えられている「信仰」が、正しい物でなければなりません。それは、単に教理を信じるというだけではなく、キリストに寄り頼み、キリストのみに信頼する信仰でなければなりません。それが、ペテロの言っている「徳」というものです。「徳」とは、神にのみ備えられている、卓越したご性質のことです。私たちが義であられる神のしもべとしての自覚をもって、恐れることなく大胆に前進していけるように、神に願い求め続けなければなりません。

私たちは、聖書を良く学び、「知識」を得る努力も必要です。

キリストの教理に関する「知識」は、私たちの信仰を更に強固にするために、非常に大切です。日々、聖書に聴き、神の御言葉を理解することが出来るように、御言葉を心の中に豊かに蓄え、理解できるように努力しなければなりません。
そして、私たちは、「知識」には「自制」を加えていかなくてはなりません。
私たちは、その話す言葉に注意をし、「自制」しなければなりません。そして、私たちは、神の御霊のお働きにより、「忍耐」を得なければなりません。
「忍耐」を得ることが出来たら、その次は、「敬虔」を求めていかなければなりません。

「敬虔」とは何でしょうか。

それは、神を敬う態度と生活のことです。
そして、私たちは、その上に、「兄弟愛」を加えなければなりません。
その人の性質がどのようなものであろうとも、私たちは、全ての聖徒、即ち、クリスチャンを愛さなければなりません。
そして、私たちが愛する対象となるのは、それで終わらず、すべての人に手を広げて、その人たちの魂を愛する愛を加えなければなりません。なぜなら、神は愛だからです。
ヨハネは、次のように手紙に書いています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。(Iヨハネ4:8、新改訳)

そして聖書全体の要約と言われるヨハネ3:16には、次のように書かれています。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16、新改訳)

私たちが主イエス・キリストを更に深く知り、信仰の確信を得たいと望むのであれば、私たちは、いつも、ありとあらゆる努力をしていく必要があります。そうすることによって、私たちは主のお役にたち、実を結ぶ者に変えられていくことが出来るのです。