主が私達に求めておられるもの
2013年9月15日の礼拝説教要約
聖書:創世記 15:6
彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
誘惑に対して誘惑の意図するところを知らなければ人は簡単に誘惑に負けてしまいます。主は私達に求めておられるものは誘惑に対しての仕掛けの罠を知って、その罠にかからないことを知ることを願っておられます。
I. まず、初めに誘惑とは何かを知らなければなりません。
いかなるキリスト者といえども、肉体をとっている間は、誘惑から免れることはできません。
1. 誘惑の目的
サタンである悪魔は私たちが神に愛されていることを妬み、私達を神から引き離す為に計画したのが誘惑なのです。誘惑の目的は人を神から引き離すことにあるのです。
2. 誘惑の方法
すべての誘惑の方法はサタンによってもたらされるのです。人を主の喜ばれる道からそらさせて、主の悲しまれる道に誘い込むこと,それは主の愛を疑わせるように仕向けることなのです。
3. 誘惑の手段
悪魔の誘惑の手段は人を傲慢にさせることなのです。その手段を持って、人類の始祖であるアダムとエバに迫り(創3:1‐13),キリストにも迫り(マタ4:1‐11)、私たちにも迫るのです。
II. 誘惑が何であるかを知ったならば、その誘惑の罠にかからないことが誘惑に対する勝利の秘訣何なのです。
1.誘惑の目的を知れば、その誘惑の目的に同意しなければよいのです。つまり誘惑の目的は私達を神から引き離すことですから、それを受け入れないで、神に近付けばよいのです。
2.誘惑の方法は主の愛を疑わせることですから、その誘惑に対する秘訣は主の愛を信じることなのです。
3.誘惑の手段は私達を傲慢にさせることですから、その誘惑に対する秘訣は謙遜になることなのです。