ヨハネの第一の手紙要約:御子イエスの感動

2020年9月6日の礼拝説教要約

ヨハネの第一の手紙要約:御子イエスの感動                    2020年9月6日礼拝メッセージ 堀内友幸牧師 

聖書:ヨハネの第一の手紙 1章1節−9節、5章12節—13節、16節、

1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
2 —このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。—
3 私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。
4 私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

イントロダクション

一 主イエスを見た感動 1:1−4  

二 主イエスの愛    4:9—13、18、20

三 主イエスの十字架 1:5—9、2:1

*イントロダクション

1 著者: ヨハネ

この書には著者の名前が記されていないけれども、ヨハネの福音書と似ていることからヨハネであると信じられてきた。

2 執筆年代:紀元90年ー95年頃

3 執筆事情:

神は使徒ヨハネを用いてヨハネの福音書、書簡と黙示録を記された。これは深いみむねのあることで、ヨハネの福音書はキリストを明らかに示して、私達の信仰の土台を据え、書簡はすでに救われた信者を内心の確信と全き愛とに導き、黙示録は主の再臨と永遠のことを記して私達に望みを与えておられるのです。

ヨハネの福音書は信仰、書簡は愛、黙示録は希望を与えるものなのです。

主の昇天後、ヨハネ以外の使徒達は皆、殉教の血を流して天に召されました。

老使徒ヨハネただ一人、迫害の中で、主イエスより託された母マリヤを守り、世話をして、エペソの監督としてキリストにある兄弟姉妹を自分の子供と見て父親のような訓戒をしているのがこのヨハネの手紙なのです。

一 主イエスを見た感動 1:1−4

*使徒ヨハネは主イエスの公生涯の最初の弟子で十字架に至るまで3年半、主イエスの側にいて主イエスを見続けた唯一の弟子なのです。ヨハネ以外の他の弟子達が皆イエスを捨てて逃げた中で、ヨハネだけは母マリヤと共に十字架の下で主イエスを最後まで見続けた弟子でした。ヨハネは主イエスの何を見続けたのでしょうか。

1 主イエスの内に神を見たのです。神なるお方が人間の体をとって受肉された主イエスを見たのです。

2 主イエスの命の御言葉を聞いたのです。

3 主イエスの僕としての謙遜を見、救い主として悪魔を退かせた権威を見たのです。

4 主イエスが私たちの弱さに触れてくださって、癒し、助け、力付けて下さったのです。

5 主イエスの内にある永遠の命の交わりを体験したのです。

6 主イエスと天のお父様と私達の交わりが喜びを与えるのです。

二 主イエスの愛 4:9—13、18、20

9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
12 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです
13 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

18 愛には恐れがありません全き愛は恐れを締め出します

20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えないか神を愛することはできません

1 私達の内には愛がない。神が私達を愛して下さったことによって愛を受けることができた。

10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

 2 神の愛は私達に命を与える

9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

3 神の愛には恐れがない

18 愛には恐れがありません全き愛は恐れを締め出します

4 神の愛は溢れてくる。4:12

兄弟姉妹を愛さずにはおれなくなる。

ヨハネ7:38「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです

三 主イエスの十字架 1:5—9、2:1

5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら私たちは互いに交わりを保ち御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。9 もし、私たちが自分の罪を言い表すなら神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます

2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです

1 主イエスの感動

ヨハネは主イエスの十字架の下で午前9時から午後3時まで6時間そこから離れることができませんでした。十字架上の主イエスを見ることが、主イエスの語る言葉が、主イエスの叫びが感動となってヨハネを捉えたからです。

2 主イエスの宣言

全てが終わった」ヨハネ19:30

5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

*かかる罪の赦しがある以上、主イエスを信じるあなた方が永遠の命を持っているのです

3 主イエスの赦

(1)救われた後でまた罪を犯したらどうなるのですか。

主イエスはあなたが何度罪を犯しても、あなたを完全に無限に赦してくださるのです。

2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです

ペトロが、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか」と主イエスに言いました。主イエスは「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」と言われました。

主イエスが言っておられることは数ではなく、その人を全く無限に赦しなさいと言われているのです

(2)罪には赦される罪と赦されない罪があると聖書に書かれています。

マタイ12:31−32「31 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」

ヘブル12:12「兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。」

*聖霊に逆らう冒涜の罪は不信仰になって聖霊の声に従わないで主イエスを信じないことなのです

Iコリント12:3「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。」

*私達はいつでも聖霊の声に従って罪を悔い改め、聖霊によってイエスは主であると信じることが出来ることは聖霊に逆らう罪を犯していないということなのです。

(3)主イエスの執り成し

ヨハネは主イエスが叫ばれた言葉を聞いたのです

「父よ、彼らを赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。」(ルカの福音書23章34節)

ですから、ヨハネは「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」と叫んでいるのです。御子イエスの血は私達の全ての罪を赦し、全ての罪を潔めるのです。私達は主イエスの血潮によって全ての罪が赦されました。(1:7)

Iコリント12:3「 聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。」

ヘブル12:12兄弟たち。あなたがたの中では、だれも悪い不信仰の心になって生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。

ローマ8:15「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。」

ローマ8:26「 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」

罪を悔い改めることができる人、イエスは主であると信じることが出来る人はは聖霊の働きがなくてはできないのです。                          主イエスの叫びは十字架につけた全ての人の為に執り成しをなされたのです。そこには律法学者であるパリサイ人、サドカイ人、祭司、大祭司がいました。彼らはイエスを罵り、聖霊を冒涜して、イエスを十字架に付けた人たちです。

御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」と叫んでいるのです。御子イエスの血は私達の全ての罪を赦し、全ての罪を潔めるのです。