サバイバルからリバイバルへ

2013年9月29日の礼拝説教要約

聖書: コリント人への第一の手紙 12章1-27節

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1 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。2 ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。4 さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。5 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。 27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

この聖句はパウロがコリント教会に宛てて、彼らが抱えていた分裂分派という教会にとって致命的な問題を解決するために書く送った手紙の一部です。教会が、あるいはクリスチャン一人一人が分裂を引き起こす温床となる自己保身、自己中心的信仰、サバイバル症候群に陥らぬための秘訣を御言葉を通して三つご紹介します。

①まずパウロは手紙の中で御霊がもたらす共通の恵みについて語っています。

それはキリストを主と告白することです。このキリストに対する信仰告白こそ、私たちのうちに聖霊様がおられる証拠であり、救いの証印であり、私たちを互いに結び合い、また私たちと神様を繋ぐ唯一無二の絆であります。

ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。3節

②次にパウロは御霊がもたらす賜物の違いについて語っています。

これが分裂を防ぐ第二の絆です。神様が私たちにそれぞれ違う賜物、またそれぞれに弱さや強さをあえてお与えになったのは、私たちが互いに優劣を競い合うためではなく、互いに助け合い、いたわり合い、愛し合い一つとなるためです。

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。7節
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。25節

③最後に第三の絆。それはお互いがキリストの体の器官であるという自覚です。

自分の右手と左手を比べて優越感や劣等感を持つ人はいません。なぜなら両方とも自分の手だからです。教会も同じです。大切なのは自分の教会も、他の教会も、キリストのからだ全体の
一部であるという自覚です。これが分裂を防ぎ、教会を自己保身、自己中心的サバイバル症候群から守る第三の絆です。

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。27節

神様のご計画の最終目的は単に私たちが個人的に救われるだけではなく、互いに愛しあうこと、またすべての人が神様と結ばれて一つとなることです。リバイバルとは一教会の急成長に限らず、一度人間の罪によって破壊されてしまったこの神様の永遠の昔からのご計画がキリストによって再建され成就することなのです。