キリストの弟子となる意味

2015年6月28日の礼拝説教要約

聖書:ルカの福音書14章25ー35節  新改訳聖書 133ページ

私達は聖書を読むときに主イエスが語られたその背後にある神の御心を知らなければ、聖書に語られていることを本当に知ることは出来ないのです。

1.主はあなたをどんなに愛しておられるか。主はそのことをあなたに知ってほしいのです。14:25-35節

私の親友である沖中伸行君が癌になった時に、私に「友ちゃん、何故、僕が癌になったのか」と聞いてきた時に、私は「それは神様が伸ちゃんを愛しているからだよ」と答えました。
彼はその時に本当に神の愛が分かったのです。神は愛する者を訓練されるからです。
主はあなたをどんなに愛しておられるかご存知ですか。
私は先々週CJMの総会に行くことが出来、そこで何と芥川先生の娘様、美香さんと幸子さんにお会いすることが出来ました。美香さんが私がカルガリー日系人福音教会の牧師だと知って、私にご主人の畑野先生の晩年のことをお話し下さいました。
「主人が晩年、私に『僕は主の臨在に出会った』と話してくれたのです。私が『それはどうだったの』と聞いた時に、主人が『主の臨在は愛そのものだった』と語ってくれたのです。
芥川先生、畑野先生がカルガリー日系人福音教会の皆様に「主がどんなに私達一人一人を愛しておられるか」を伝えたかったかを美香さんを通して私が教えられました。
主イエスはエルサレムを見た時に、ユダヤ人が救い主を知らないのを知って泣かれたとあります。主イエスが語られるみ言葉の背後に愛があるのです。
私達はそのことを知って聖書を読んでゆきましょう。

2.主イエスはここでキリストの弟子とな意味は自分を捨てることですよと語られています。 (25-25節)

自分が家族を愛しているとどうですか。あなたが家族から見捨てられた時にどうしますか。
夫に妻に捨てられた時にどうしますか。私達は怒りを覚えるのではないでしょうか。
ですから、主イエスはその自分を捨てなさいとここで語られているのです。
弟子たちに見捨てられた主イエスは本当の意味で彼らを愛することが出来たのです。

3.キリストの弟子となる意味は謙遜になることです。 (28-32節)

自分の弱さを知り、この世のものに執着するのではなく、謙遜になることは神様が私達を用いて下さる道なのです。

4.キリストの弟子となる意味は使命に生きることです。(34-35節)

主は一人一人に使命を与えておられるからあなたは今あるのです。
主にとってあなたはなくてならない存在なのです。主の御用の為に用いられることが自分にとっても、家族にとっても、社会にとってもあなたはなくてならない存在となるのです。