カナダ日系人伝道とカルガリー日系人福音教会の歴史

2020年7月19日の礼拝説教要約

カナダ日系人伝道とカルガリー日系人福音教会の歴史       「わたしについて来なさい」 2020年7月19日礼拝

聖書:マタイの福音書16章24節

ハガイ書1章7−8節、2章4節—9節

マタイ16:24

24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

ハガイ書1:7−8

7 万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。
8 山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。主は仰せられる。

ハガイ書2:4−9

4 しかし、ゼルバベルよ。今、強くあれ。―主の御告げ―エホツァダクの子、大祭司ヨシュアよ。強くあれ。この国のすべての民よ。強くあれ。―主の御告げ―仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。―万軍の主の御告げ―
5 あなたがたがエジプトから出て来たとき、わたしがあなたがたと結んだ約束により、わたしの霊があなたがたの間で働いている。恐れるな。
6 まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。
7 わたしは、すべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。万軍の主は仰せられる。
8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。―万軍の主の御告げ―
9 この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。万軍の主は仰せられる。わたしはまた、この所に平和を与える。―万軍の主の御告げ―」

一 生い立ち

二 召命「わたしについて来なさい」

三 日系人伝道

一 生い立ち

マーガレット・リッジウェイは、1915年5月31日にサスカチュワン州レジーナ市で生まれました。父親が亡くなったのはわずか3歳でした。1918年のひどいインフルエンザ流行の犠牲者でした。この大きな悲しみの後、母親は小さな二人の子供達(ウォルター1917年生まれ)を連れてノバスコシア州の実家に戻り、祖母に子供達の世話をしてもらいながら仕事に行きました。 1923年、家族全員がバンクーバーに引っ越し、マーガレットと弟はそこで育ちました。マーガレットは愛する父親の突然の死によって残された悲しい出来事を決して忘れませんでした。 彼女は父親をいつも恋しく思い、それが彼女の生涯にわたる不安との戦いだったのです。彼女はいつも自分が神の愛と恵みに値しないのではないかと思っていました。しかし、彼女は10代の頃に人生を変えるような回心体験をした後、彼女は熱心に主に従い、主の御心を求めたのです。

彼女はハリー夫妻の友情と弟子訓練によって霊的に成長して、フレーザー川沿いのセルティック・キャナリーとサンベリーの日系人漁村の街でサンデースクールを開拓し、その情熱的な仕事に入りました。これは、初めて聞く人達に福音を語った彼女の最初の経験でした。ハリー氏の死後、マーガレットは彼のビジョンと仕事を受け継いで、多くの日本人の家族​​が住んでいたバンクーバーの東地区にもサンデースクールが出来たのです。

マーガレットはすぐに友達を作り、日系人社会の文化の違いを受け止めたのです。このことによって彼女は日系人牧師によって引き起こされる問題を前もって知ることが出来たのです。

「B.C.にいる日系人を本当に愛している人は何人いますか。」この質問は彼女の心を燃え立たせ、それを決して忘れなかったのです。

数年後、彼女は主に自分の将来のために求めたのです。日本に(多くの日系移民のいる)ブラジルに、又は日系人のいるカナダ本国に仕えるべきか。

その答えが与えられる前の1941年にマーガレットは将来の準備の為に銀行員の仕事を辞めてバンクーバー聖書学校に入学したのです。

二 召命

1.1941年12月7日、日本はパールハーバーと香港を同時に爆撃して戦線布告をして、第二次世界対戦が勃発したのです。

2.香港にいたイギリス・カナダ・インドの連合軍を撃破した時にカナダ兵800人を殺害し、イギリス・カナダ・インド連合軍1,1000人(内カナダ兵2000人)を捕虜にしました

3.1941年に日系人カナダ人はB.C.に22,000人が住んでいました。直ぐに日系人は敵と見做され、1,200隻の漁船が押収され、自動車、ラジオ、カメラが押収されました。

4.カナダ人は日系人をカナダ国民の敵として軽蔑し、アメリカ・イギリス・カナダに戦線布告もなしに攻撃したことに対する怒りの故にバンクーバーの街は日系人に対する憎しみの故に商店が壊され、住民からは出て行けとの人種差別を受け、誰も日系人を助ける人はいませんでした。

5.1942年1月8日にカナダ連邦政府は戦時処置法を発令して、日系カナダ人の国籍を剥奪し、一人トランク一つだけの所有の他は全て日系人の全所有物、家屋敷、会社・土地・家財・家畜・動物・船・自動車の全てを取り上げて競売したのです。

6.1942年1月14日には日系カナダ人の18才から45才の男性は道路建設の為に強制労働に駆り立てられました。

7.1月19日には日系人女性、老人と子供達には24時間の猶予で移動命令が発せられ、一人トランク一個以外の全ての所有物は取り上げられたのです。全ての日本人女性と老人と子供達は1月20日に集められて、海岸線から100マイル離れたゴーストタウンに汽車とバスで送られたのです。

8.マーガレットはその時のことを記しています。       1942年主の御言葉が私に臨みました。

「山に登り、・・・主の家を建てよ。わたしはあなたと共にいます。・・・恐れることはありません。」(ハガイ書1:8、13、2:4)

開かれた聖書を前にして、私は厳かさの中で主を崇めて立ち上がりました。主は私に語られたのです。安住な地であるあなたの家・あなたの教会とあなたの環境を離れて、山奥のスロカン川のクートニィ谷間に「強制移住させられる日系人に後について行きなさい」との召命を受けたのです。私はそこに人の手でよるのではなく、生きた石礎によって神の家を建てよ。主が栄光を受けられるのです。バンクーバーの働きから離れて、後の栄光は先の栄光よりも素晴らしいのです。

主はその日、マーガレットに日系人の後について行くように語り、導かれました。日系人を愛する故に、マーガレットは日系人強制退去者の中に入って主の家を建てる為にカスロに向かってバスに乗車したのです。バスがカスロの街に近づいた時、私の心に強い疑問が起こってきました。                         「誰が私に会ってくれるのでしょうか。」           「私は何処に住むのでしょうか。」               主は行先も知らないで私に出て行くようにと語ってくださったのはこれが最初ではありませんでした。

三 日系人伝道

1.私がカスロのバス停についた時には新井テイ子さんが私を出迎えてくれて、一緒にホテルに泊まってくれました。そして翌朝には湖の側にある(寝室と居間がある)山小屋が見つかり、これからの4ヶ月が私の家と教会になったのです。

2.そこで子供達の為のハッピィーアワーの聖書クラブと十代の女性達のクラフトクラブと祈りと礼拝のグループが直ぐに始まりました。そして毎日、主を証しする機会と祈りの時が与えられたのです。これは彼女の祈りの答えでした。

3.そしてその後、日系人が強制退去されて住んでいたローズベリーとニューデンバーの伝道の道が開かれたのです。

4.池之上(内田)サチ先生は「マーガレットを見た時に嬉しくて、マーガレットの犠牲と献身と日系人に対するマーガレットの真実の愛を知って、私達は皆励まされました。マーガレットが語る福音を聞いて更に主イエス・キリストが私たちを愛してこの地上にまで来て下さって、身代わりの十字架の上で全人類の罪を赦してくださった神の愛を知って感動し、私と私の全家族は救いを受けたのです。」と語られています。

5.マーガレットが1943年から1946年にオカナガン渓谷に移られた時に池之上磐夫先生の両親はクリスチャンで、クリスチャン家庭で育てられたので、「私はクリスチャンである」と思っていました。神に私が受け入れられたという確信がなかったのです。そして神の存在についても確信がなかったのです。

池之上磐夫先生は1945年5月のある夜のベテルバプテスト教会の特別集会にマーガレットに誘われて出席したのです。イザベル・クーン説教者が「宣教師としてあなたの人生を献げますか」と力強いチャレンジを与えて下さって、私の心は感動して「ハイ」と手をあげて答えたのです。                          「その時に私はまだ救いが必要だと知らなかったのです。」    私は気まずくなってその場から去ろうとした時に、マーガレットが私に話しかけてくださって、私に「イエス・キリストをあなたの心に受け入れましたか」と聞いてくださったのです。私は「ハイ」と言えなかったのです。神の言葉によって私は罪人にしか過ぎないことに気が付いたのです。マーガレットは私に罪人の祈りを導いて下さったので祈りました。その夜、私の心に主が来て下さって、主の平安に満たされて家に帰ったのです。

6.その後、聖書学校で宣教師として訓練を受けて、

1951年に池之上磐夫先生はCJMの第一の宣教師として日本に遣わされのです。

7.芥川Robertアキオ牧師

1955年から1958年までマーガレットは日本伝道に行かれた時に芥川アキオ牧師に会い、「カナダで1世の牧師が必要なので来てください」との招聘を受けてカナダ日系人伝道の道が開かれました。                             1957年に芥川牧師夫妻はカナダの日系人1世・2世の為にケローナでオカナガン中央福音教会を設立しました。ケローナで2年半伝導した後、アルバータ州レスブリッジに移り、1世の為に日系人福音教会を設立し、1960年にカルガリーに移り日系人教会を始めました。その時にはカルガリーには日系人教会はなかったのです。         1967年5月21日にカルガリー日系人福音教会が設立されたのです。 私は日本で長男として生まれ、何不自由なく育ちました。しかし、祖父の会社が倒産した為に家財は押収され、周りから軽蔑の目で見られたのです。

16歳の時に心も体も生きる望みも失った時に隣の人が私を教会に誘ってくれたのです。そこで初めて聞いたメッセージ

ローマ書6:23「23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

死の裁きの中にある私達をイエス・キリストが身代わりとなって私の罪が赦されたことを初めて聞きました。初めて神の愛を見ました。そして神の前に悔い改めてイエス・キリストを信じるということのゆえに神の子とされた確信を与えられました。

「キリストに在るものは古きは過ぎ去り、全てが新しくなったのです」(コリント第二5:17)。

家に帰る途中、神の愛、自分を愛して自分の為に命を献げてくれた神の愛、キリストの愛、救われた喜びの中で初めて夜空の星々を見上げた時に、何と素晴らしい世界が私の前にあったのかということを初めて気がつきました。芥川先生は元来猫が好きではなかったのです。しかし、帰る途中、塀の上にいる猫を見た時に猫の可愛らしさに初めて気がついた。

8.カルガリー日系人福音教会の設立者である芥川先生はメッセージをいつも下記のようにされていました。

*「主イエスを信じること、神の約束は決して失われることはない。」

*「私達が必要とする時にはいつも主の助けがある。」

*「キリストの愛は私に喜びを与え続けたのです。」

9.誰も日本人を顧みない中で、マーガレットだけは神様に「日系人のために付いて行ってくれ。彼らに福音が必要なんだ」と神様に示されて、日系人の一人をしてバスに乗ってカスロに来たのです。

サチ先生はマーガレットを見た時に、その愛、誰も顧みないカナダ人の中でマーガレットだけが自分の家も教会も家族もおいて、奥地まで来た彼女を見た時に、サチ先生は「感動した。喜びを覚えた。」と言っています。

私達はこのようにして今日があることを忘れてはならないと思います。