これは権勢(いきおい)によらず、能力(ちから)によらず、わが霊によるなりIII

2013年2月3日の礼拝説教要約
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聖書:テモテへの手紙 第一 2:4-7

4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます

5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです

6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。

 

聖書最高の目的人間の救です。

 

1. 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

誰ひとりとして神の御旨から除外された人はいないのです。

神の御旨は全ての人なのです。あなたも神の御旨の中にあるのです。

神は全ての人を愛しておられるように、あなたを愛しておられるのです。

あなたなのです。他の人ではなく、あなたなのです。

永遠の命、永遠の富、永遠の贖い、全き赦し、完全な贖い、罪よりの赦しと解放

それはあなたのために成された贖いなのです。

あなたが変えられること、あなたが神の御心の真理を知ることです。

私達が何かをすることではないのです。

主に愛が注がれる時に、弟子たちが変えられて行った様に、

私たちも主の愛が注がれる時に、変わらざるを得なくなるのです。

これこそが聖書が告げている真理なのです。あなたが何かすることではないのです。

「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下ってくる」のです。

ヤコブ117

  1. 2.   愛というのは

私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して下さって、私達の罪のために贖いの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」ヨハネ第一4:10

愛は私達の内にはないのです。

愛は神から注がれるものなのです。命の息を吹き入れられた時に私達が生きるものとなったように、神の愛が注がれるとき、神の愛が私達の内から流れ出るのです。

パウロは「キリストの愛我等を止む能はざらしむればなり。」(コリント第二514永井訳)と語っています。

「神の愛を受けたときに喜びの故にそうせざるを得なかったのです」と告げているのです。

パウロは神の愛に捉えられた時に語らざるを得なかったのです。神の愛がパウロを捉えた時ローマの処刑をもものともせず、喜びの故に彼は斬首されていきました。

何という確信、何という力、何という神の業が彼の上に成されていったことでしょうか。

 

3.私達の人生もの愛が注がれて、神の愛が内から溢れて溢れて止まない生涯をおくらせていただこうではないでしょうか。

  義務にとらわれるのでもなく、律法でもなく、強制でもなく、喜びの故に、神の愛に満たされてそうせざるを得ないような歩みをさせて頂きましょう。

 神の無限の愛に満たされて、人々にこの恵みを語らざるを得ないような生涯をおくらせていただきましょう。