『イエス様の愛の中』 メッセージ:栗山 泉 宣教師

2020年7月12日の礼拝説教要約

『イエス様の愛の中』 メッセージ:栗山 泉 宣教師

2020年7月12日礼拝メッセージ

  • 聖書箇所ヨハネ15勝1節から12節と16節のみ言葉から4つ、       1、イエス様にとどまる、                         2、実を結ぶ、                              3、イエス様の弟子とされる、                       4、神様の輝く栄光について、 皆さんと分かち合いたいと思っています。

 

(イエス・キリストの愛の中で生活する時、神のみわざで豊かな実を結び、輝かく。どんな暗闇があっても、愛の光を放つ神の子供であることを感謝しつつ福音宣教のために生きることが神様に喜ばれることだということを経験していただきたいです。)

 

まず始めに、神様は、私達 一人一人を愛し、目的をもって造られた、ということを再確認する必要があります。

例えば、どんなにパイナップルが好きだから、パイナップルになろうとか、しようとしても無理なことです。

なぜなら、人間には人間として造られ、一人一人に目的をもって神様が命を与えているからです。

神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と仰せられた。創1:26

人が神様によって造られ、愛されていました。しかし、最初の人アダムが神に逆い罪を犯しました。 それゆえに、滅びの死が人類に訪れたのです。つまり、全ての人が生れながらの罪人となり、死と裁きを受ける事になったのです。

この滅びの死から、人を救うために神の御子イエス様がこの地上に人となって来られたのです。 なぜなら、私たちは、神様の大切な作品であり、神様の目には高価で尊い存在として愛されているのからです。

「神は、全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」1テモ2:4

神様は、 罪人を救うために、御子イエス様をこの地上に使わしてくださいました。

主の御名を呼び求める者は、誰でも救われる。」 ローマ10:13 救いの道を示されたのです。

イエス様の福音は、聖書のみ言葉とともに語り伝えられています。

今朝、私たちが神様を礼拝できるのは福音を聞いて、神様の愛を知らされたから。

救い主なるイエス様を人生の中心にお迎えして、新しい命が誕生しました。み言葉に養われて新しい命は成長します。神様の恵みによって、イエス様の愛の中に住み、御霊で歩む人生へと変えられています。自分が何かをしたのではなく、ただただ、神様の愛と十字架の恵み、そして、聖霊様の働きによって成長するのです。そして、豊かな実を結ぶ。

信仰を持って喜び賛美しつつ進んでいる道中です。エペソ1:12神の栄光を褒め称える者として、私達は選ばれ、造られ,生かされているのです。これが神の子供とされた素晴らしい人生で、やがて神様の輝く栄光に入れられるのです。

 

  • 1、イエス様の愛の中にとどまる:μένω ( meno) = Abide住む、継続的にとどまる、耐える、待つなどの意味が含まれています。 愛の中に住む、生活するという事だと言えるでしょう。新訳120回使われています。

愛の中にとどまるとは、愛の中で信頼し合う生活であり、共に食事をし、何でも話せる家族となるということです。

黙示3:20「わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしは彼のところに入って、彼と共に食事をし、彼もわたしと共に食事をする。」と書いています。霊的な食事を共にするということです。ヨハネ 4:34「イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」イエス様にとっての食物は、神様の御心を行う事でした。

 

「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」ヨハネ1:12、(ガラテヤ3:26)イエス様を信じて神の子供とされて神の家族の一員とわたし達はなったのです。

ヨハネ15:1においてイエス様はご自身をぶどうの木、天の父なる神様を農夫に例えておられます。豊かな ぶどうの木には、たくさんの枝があります。そして、神の子供とされた者を神の家族の父なる神様が、ぶどう園の農夫のよう面倒を見ていてくださるということですから、何でもお父様におねだりできますね。

 

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。ヨハネ15:9

愛の砦というか要塞があると考えてみてください。そこから離れたら危ないということでもあります。この地上での私たちの日常生活にはこの世の闇の悪霊の力がいたるところに働いています。主の愛から離れさせようと敵は必死でしょう。 暗い否定的な話や争い事が、要塞の外側で起こっているのです。もしも、あなたが心の中に、敵からの巧妙な攻撃の矢が刺さったとしたら、その矢をすぐに取り除いて治療した方がいいですよね。放っていたらさらに傷は悪化して大変なことになりかねません。 愛という薬ですぐに治療していただきましょう!

 

  • 神様の御心、望んでおられること、願いとは:

新しい命は聖書のみことばによって養われて、愛されて成長していくとともに、イエス様をさらに深く知るようになります。そして、イエス様のように愛する神様の御心を求めるようになるのです。

「神は、全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」1テモ2:4

まだ多くの人々が、真理であるイエス様の福音を知らずに、永遠の滅びに向かっています。

イエス様は、神様が、滅びに向かう罪人を何としても救いたいと願っておられる事を知って、天から罪深い地上に降りてくださったのです。

イエス様は言われました「人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」ルカ19:10

ですから、イエス様は 「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆる煩いを直された。」マタイ4:23

イエス様の生涯は、神様の御心を行う事でした。それがどんな事であっても、ご自身から従順されました。

やがて地上をさる日が来ることを知っておられたので、イエス様は、弟子たちに福音宣教を託して、十字架刑で血を流し、罪人の身代わりに死んで葬られたのちに、よみがえられ、再臨される事と聖霊様を遣わされると約束をされてから天に昇って行かれました。

「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたもおらせるためです。」ヨハネ14:3

 

  • 2, 実を結ぶ。 = 魂の救い、 御霊の実  ヨハネ 15:5

愛の実を祈り求めて受け取る。ヨハネ15:7

5わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。ヨハネ 15:5

もしも、枝である自分に愛の流れは止めるものが何かあるなら、やがて枯れていくことでしょう。ほんの少しの不平不満でも、溜まれば大きな障害物になります。十字架を見上げて、問題を取り除いていただきましょう。癒していただきましょう!  豊かに実が結べるように、祈り求めて行きましょう。

 

イエス様の愛の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。と言われています。

イエス様のいう多くの実 ? どんな実でしょう?「人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」

イエス様がこの地上に来られた理由からすると、魂の救い と言えるでしょう。

 

ガラテヤ3:26「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子供です。」

あなた方とイエス様は複数で言われています。私達はみな神の一つの家族ということです。

そして、信仰告白 = 「あなたは生ける神の御子キリストです。」マタイ16:16

教会のことをギリシャ語でekklēsiaといい「神によってこの世から選び出され、イエス・キリストを信じて救われた人々の集まり」を意味します。みなさんは目的を持って神様に選ばれて一つの家族として集められているのです。

  • 教会は愛の共同体です。イエス様の愛の中にとどまるから、実を結べるのです。

エペソ4:16「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働くちからにより、また、そなえられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」 みんながイエス様の愛にとどまりしっかりと一つにされて成長していく、成長させてくださるのも神様のみわざであるという事です。一人じゃ大変な作業もみんなとなら出来る、一人で賛美するよりみんなでする方が楽しい!

一人でできないことも、イエス様の愛に動かされたみんなとなら何だって出来る!

昔、イスラエルの民の戦いの時、ヨシュアが現場で戦い、モーセは丘の上でとりなしの祈りの手を上げて、アロンとフルがモーセの手を支えたて戦いに勝利したことが記されています。モーセの祈りの手が下がれば、敵が優勢に、上がればイスラエルが優勢だった。(出エジ17:9〜13)それぞれに大切な役割があるということです。支えるものがいてとりなしの祈りができ、祈るものがいて戦いは勝利する。ということです。

 

洗礼者の写真 2019年の神様からの実です。豊かな泉ミニストリーの関わりで救われた方と洗礼を受けた方々。

2011年から関わってきたご夫妻、ご主人が癌だと知った時にはすでに末期でした。彼は、癌になってイエス様を救い主として信じる決心がついたと奥様と一緒に病床洗礼を受けられました。しばらくして天に召されて行きました。まるで、神様がご夫妻の救いを待っていてくださったかのようでした。私たちが日本にいて宮城に行けたことも神様のお取り計らいだったと思っています。

 

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」ガラテヤ5:22~23

イエス様の愛の中に入れられ、そしてその愛が自分の日々の生活に浸透するために御霊の働きは欠かせませんね。聖書は、互いに愛し合いなさいと命令していますが、それを自分の力や努力でするようにとはいっておらず、神様に願い求めればいいと勧めています。

ぶどうの木のイエス様から流れ出る愛の水が枝である私たちに流れて御霊が実を結ばせてくださるのです。ハレルヤ!

 

  • 3、イエス様の弟子とされる = 似る者と変えられていく 第2コリント3:18

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」ヨハネ15:26

聖霊様がイエス様のことをもっと理解できるように助けてくださいます。それだけでなく、私たちがイエス様の戒めや御心を行うため聖霊様が助けてくださる!という約束です。愛し合うための愛を聖霊様が注いでくださるのです。 真理の御霊の内住による愛の注ぎを求めましょう!

私たちに与えられている聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:5

イエス様の愛の中にとどまり、愛の御霊で満たされ、イエス様の教えを受ける、賜物、力を受けるのは何のためだと思われますか? それは、イエス様があなたの人生でどんなに素晴らしいお方であるかをあなたが経験し、その喜びや感謝を証する人になるためです。

イエス様の弟子というと文字を見ると何か難しいイメージが私にはありましたが、み言葉を学んでいくうちに、それはもっと自然なことだと知りました。 聖霊様が、賜物や力を与えてくださり、信仰生活を歩ませてくださるからです。

「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」使徒1:8

 

「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。」2コリント5:14〜15

イエス様がこの地上に来られたのは何のためであったかを、もう一度思い出してください。

イエス様は言われました「人の子は、失われた人を探して救うために来たのです。」ルカ19:10

ですから、イエス様は 「イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆる煩いを直された。」マタイ4:23 

これがイエス様です。 イエス様は救霊Missionを弟子たちにも参加できるようにしてくださいました。

イエス様は、魂が救われる喜びを、私たちクリスチャンにも分け与えてくださるようにしてくださったのです。

そのための必要は何でも求めれば与えてくださるのです。 何という感謝でしょうか!

「7あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」

「御霊も同じようにして、弱い私達を助けて下さいます。私達はどのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私達の為にとりなして下さいます。———御霊は神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしてくださるからです。」 ローマ8:26〜27

聖霊様が遣わされ、私達といつまでも共にいてくださるようになりました。この限りある私たちの中に、神の愛を注ぎ、御言葉を教え、励まし、助けてくださるばかりか、私たちをイエス様の証人として遣わしてくださるのです。なんという恵みでしょうか!

 

EX: 2016年のちょうど今頃、九州熊本県に大きな地震と豪雨災害が起こり、私達は九州キリスト災害ボランティアセンターでスタッフとして奉仕をしていました。ある日、二人の青年が関東からきました。 二人は対照的で、ボランティア申し込みをしたのは明るいクリスチャンのA君でした。もう一方のB君は暗く誰とも何も喋りませんでした。暑い日のハードな作業ばかりなので、すぐにも根を上げて帰るのでは?と思っていました。数日が過ぎ、その日は風雨と雷が激しくニュースで豪雨警報が出ていて、夜には30名ほどが教会堂の床に座って集まっていました。すると大きな雷の音がして停電になりました。シーンとした中で、携帯電話のベルが私の近くで鳴り出しましたが、そのベルの音はしばらく鳴り止まず、誰の携帯電話なのか見当がつきました。 すると、電話のベルが止み、しばらくしてから「帰らない! 僕は大丈夫だから!」という無口なB君の声が聞こえてきたのです。多分、TVニュースをみて心配したお母さんからの電話だったのでしょう。でも、彼は、「帰らない! 僕は大丈夫だから!」と返事をしたのです。 すると、A君が「神様、感謝します!」と叫びました。どうやら、B君は引きこもりだったようでクリスチャンのA君が祈り込んで連れてきたとの事でした。引きこもりだったB君が、話してくれました。自分は厄介者で何の役にも立たない無価値な人間だと思っていた。何のために生きているのかわからずにいた。でも、熊本に来て初めての作業の日、泥まみれの家の片付けを手伝っていたら、背中の曲がったおばあちゃんが、僕の手を握って目を潤ませながら「ありがとうね」と何度も言ってくれた。僕のことを知らないおばあちゃんが、僕の手を握って「ありがとうね」と。 神様っているのかも知れない。僕は生きていてもかまわないのだと思った。みんなを見ていたら、クリスチャンっていいなと思えてきた。と。

「愛は、与える事なくして愛とは言えない。」とある方が言っておられました。

一人の青年の人生が変わるその背景には、愛を注ぎ続けてとりなし祈るクリスチャンがいたのです。彼にはイエス様の愛があり、悩み苦しむB君のために、イエス様の身体となり、信仰を持って行動したのです。そして、神様が愛のみわざを表してくださったのです。

 

  • 4、神様の輝く栄光: ヨハネ15:8、9、11

「8あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」

ぶどうの木のイエス様から流れ出る愛の水が枝である私たちに流れて御霊が多くの実を結ばせてくださるのです。

恵みによって、救われ、永遠の命を得て、み言葉を食して成長し、多くの実を神の家族と一緒にみのらせるのです。それはイエス様からの愛の実です。

そのために私たちは喜びに満たされてイエス様の証人、弟子とされています。

天に向かう感謝や喜びの笑顔は、光のように暗い世界を照らします。暗闇の海で後悔する船にとっての灯台の光のようです。すべてのことは愛からです。受けた愛の光を放つ時に、喜びが内側から溢れてくることでしょう。

福音は笑顔で、光の中で広がって行きます。

ヨハネ14:9 『 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

11わたしはこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。 』

 

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです、」ヨハネ14:12

 

“そこで,彼らは出て行って,至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かな者とされた。”マルコ16:20

人には出来ない事も、聖霊様によってするのです。このお方が内住しておられるという事は、この外側は欠けだらけの貧しい器であったとしても、内側には神の計り知れない力が存在しているということです。 なんという感謝でしょうか!

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 2コリント3:18

 

ヨハネ15:16『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』

 

  • イエス様の愛の中にとどまり、豊かな実を結び、イエス様の弟子とされ、喜び溢れて神様の栄光となりますようにと、皆様の祝福を祈ります!