「栄光から栄光へと主に似た者とされる恵み」ビクトリア日系人教会 石黒 豊 牧師 2020年10月4日礼拝メッセージ
「栄光から栄光へと主に似た者とされる恵み」 ビクトリア日系人教会 石黒 豊 牧師
聖書:コリント人への第二の手紙 3章18節
一 グレードアップの信仰
二 日々きよめられる私達の歩み
三 主と同じ姿に変えられる祝福
「栄光から栄光へと、主に似た者とされる恵み」要約
第Ⅱコリント3章18節
3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
【グレードアップの信仰】、【日々聖められる私達の歩み】、【主と同じ姿に変えられて行く祝福】、についてご一緒に学んで行きましょう。
私達の進んで行く信仰の歩みには、「新生」「聖化」「栄化」という3つの山がある
のです。
1、「新生」義認とも言います。【過去になされた救いです。】これは、イエス様を受け入れた時に義とされた救いです。神様との関係が正され、罪責からの解放を得たという事です。義認は、福音を受け入れた瞬間に起こります。
2、「聖化」今、私達は「聖化」の中に生きています。これは、【現在進行形の救いです。】聖化とは、罪の力からの解放です。信仰によって義とされても、内面には罪の性質が残っています。それが処理される為には、長い時間がかかります。
3、「栄化」これは、【未来形の救いです。】つまり、聖化が完成した状態が、栄化です。
1、新生の結果
私達が神様に受け入れられる為には、新しく生まれ変わる必要があります。この生まれ変わりは、教育や道徳、修業や良い行いによって自分を変える事とは違います。生まれつきの私達はどんなに自分を磨いたとしても、その性質を変える事はできません。
≪黒い石を磨いても白くはなりません。黒光りするだけです。≫
では、イエス様を信じて生まれ変わったなら、どうなるのでしょうか。生まれ変わった人は、少なくても、三つの新しいものを神様から受けます。「新しい立場」「新しい身分」そして「新しい性質」です。
■ まず、「新しい立場」ですが、
* これは罪が赦され、神様の前に正しい者とされる事です。嬉しいです!
* ですから、生まれ変わった人には、イエス様が勝ち取って下さった罪の赦しが与えられ、神様の前に立つ立場が与えられるのです。感謝ですね!
■ 次に「新しい身分」ですが、
これは神様の子としての身分の事を言います。
私達は、以前は罪の奴隷でした。しかし、生まれ変わる時には、神様の子として生まれるのです。キリストを信じる者は神様の力によって生まれ、神様に愛され、神様のものとされ、神の国を受け継ぐのです。
■ 生まれ変わった者は、さらに「新しい性質」を持ちます。
* 「立場や身分」はどちらかといえば、私達の外側のものですが、「性質」と言うのは私達の内側のものです。
* キリストを信じる者は、その内面、その性質まで新しくされるのです。
* 汚れた者が聖められ、新しい性質が与えられるという事で、初めて、罪からの救いが成就(じょうじゅ)するのです。
2、新生と聖化
聖化とは、【現在進行形の救い】【グレードアップの信仰】、【日々聖められる私達の歩み】、【主と同じ姿に変えられて行く祝福】でしたね。
* 「聖化」あるいは「きよめ」と言うのは、私達に与えられたこの【新しい性質】が成長していく事です。
* それが「きよめ」と言われるのは、新しい性質が成長していくにつれて、私達が、罪の腐敗性から救われ、より【聖く】なっていくからです。
■ 私達は、新生の恵みによって罪を赦され、聖化の恵みによって罪の力に打ち勝ちます。■ 新生の恵みによって神の子とされ、聖化の恵みによって神の子らしくなっていくのです。
≪ここで、注意して頂きたいのは、≫
新生があって初めて聖化があるという事です。
【新生は霊的な誕生】、【聖化は霊的な成長】なのですから、生まれ変わりがあって、初めて生まれ変わった新しい性質の成長がそれに続くのです。誕生がなくて成長があるはずはありません。
あたりまえといえばあたりまえなのですが、私達は、時々、このあたりまえの事を見落としてしまう事があります。
* 「私が罪に負けず、きよい人間になれたら、神は罪を赦して下さるだろう。」
* 「少しは、神の子供らしいふるまいができるようになったら、神の子にして頂けるだろう。」と考えている人が、意外に多い様に思います。
* 頑張って正しい生活をしたら天国に入れるだろう。
≪こう考える人は、新生と聖化の順序を間違えている様に思います。≫
3、聖化と信仰
≪聖化に進むにはどうしたら良いのでしょうか?≫
【聖化に進むにはまず第一に】、
私達は、神様が私達に聖くある事を望んでおられるという事を知る事です。
■ 神は、エジプトから導き出してご自分の民としたイスラエルの民に、
【レビ11章45節】
『あなたがたは聖なる者となりなさい。私が聖であるから。』と言われました。
「強くなれ、大きくなれ」とは言われませんでした。神様を信じる者達にはさまざまな性質が求められ、神様の民にとって一番大切なものは、聖さなのです。
* 神を信じない社会では、世の中で成功する為には、少々汚い事にも手を染めなければならない、時に嘘も必要だと考えます。「聖さ」などと言うものは、邪魔になると考えられてます。
* 「愛」や「親切」、「忍耐」や「寛容」といった気質は喜ばれますが、「聖い」事は煙たがられます。
* しかし、神様が、神の民に求めておられる第一の事は「聖さ」です。
【第二に聖化に進むには】 自分を神様に捧げ、従う事です。
■ 神様は私達に仕えて下さいました。イエス様は私達の為に死んで下さった。
■ 今度は私達が素晴らしい神様に仕える番です。今度は私達がイエス様にあって自分を捧げる番です。
■ 「私の為のイエス様」ばかりでなく、「イエス様の為の私」に目覚め、自分を捧げていく時、私達は聖めに進む事ができます。
【第三に聖化に進むには】 聖化のゴールを見失わない事です。神様は言われました。
* 聖化とは、罪から離れる事ですが、単にあの事、この事をしないという消極的なものではありません。
* また、クリスチャンらしくなるとか、誰か立派なクリスチャンを見習うという事でもありません。
*「栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」とある様に、私達のゴールは神様に似たものになる事です。
【エペソ2章10節】 にこう書かれています。
『私たちは神の作品であって、良い行いをする為にキリスト・イエスにあって造られたのです。』
* 「私達は神様の作品」であるとあります。ある牧師が「私達は製品ではない。神様の大切な作品、神様のマスターピースである。」と言っていますがその通りですね。
≪主は必ず成して下さいます!その信仰によって、私達は聖められ、聖化されるのです≫
主に似た者とされるのです。
【第Ⅱコリント3章18節】
『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら
栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』