#7 高校受験

24.高校受験

友幸は中学3年の時に私立神港高校をクラスの仲間、西尾君と三木君と3人で受験した。合格発表当日、合否を確認するため神港高校の掲示板を3人で見に行った。西尾君の合格番号があり、友幸の合格番号があったが、三木君の番号が掲示されていなかった。西尾君は「あった!あった!合格した」と喜んでいた。友幸は三木君が一人泣いているのを見て合格を喜ぶ気持ちにはなれなかった。

友幸は三木君のそばに行って「三木君、僕がお願いするから、一緒に事務局に行ってみよう。断られてもいいじゃないか。お願いするだけお願いしよう」と励ましたのであった。三木君はその時に一筋の希望をみいだしたのか涙をふき、顔をあげて頷いたのであった。西尾君にも一緒に来てくれるようにお願いして神港高校の事務局に三人で出向いた。事務局長の方が対応されて要件を聞かれた。友幸は「僕達3人は神港高校の受験の為に一緒に勉強してきました。西尾君と私は合格しましたが、三木君が不合格になりました。三木君は神港高校一本で受験しました。何とか三木君のことを考えてくれないでしょうか」と頭を下げたのであった。事務局長の方は「友達を思う思いやりを受け取りました。もう一度検討してみます」と丁寧に答えてくれたのであった。前代未聞のことが起きた。合格通知が三木君の家に届いたのである。

中学3年の担任の富永先生がそのことを知って、母に電話をかけて来た。「お母さん奇跡が起きましたよ。中学校の教師がお願いしても不合格の学生を合格にできた話を今まで聞いたことがありません。堀内君がしてくれたことを本当に感謝します」との電話であった。

友幸の内には一人でも悲しんでいる人がいるならば、その人の身になって思いやりを持つようにと聖書の御言葉によって自然に教えられていたからであった。

「泣く者と共に泣きなさい」(ローマ人への手紙12:15)。

友幸は市立芦屋高校にも受験して合格し、市立芦屋高校に行くことになった。

25.高校

高校では応援団に入って野球の試合の度に球場へ応援に行った。甲子園球場で試合をした時に、家族皆が応援団の友幸を見に球場まで来てくれた。ある女性徒が妹に「一人で応援に来てくれたの。かわいいわね。お兄さんの名前、何て言うの」と聞いて来たので、妹は「堀内」というと、その女生徒は選手名簿を見て、「堀内という選手の名前はのってないけどね。補欠なのかしら?」と話していたという。恵利子は応援団の兄を応援するために来たので、その理由を説明するまでもなく黙っていた。

ある時、友幸は聖書マタイによる福音書14:24-31

24 舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」29 イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

友幸はその箇所を読んで、母に「ペテロは不信仰だ。たとえ溺れかけても『助けて下さい』と言うべきではない。ペテロが溺れてもイエス様が助けて下さるではないか」と話した。すると、母は「ペテロが溺れている時に『主よ、助けて下さい』と言うことはもっともなことである。主に求めなければ、ペテロはそこで溺れ死んでしまうでしょう」と言うのである。友幸は「イエス様がいるのだから叫ぶ必要はない。神様に対する信仰が彼には無かった。溺れてもいいじゃないか。神様が助けて下さるに違いないという信仰を彼は持つべきであった」と意見を通した。母は「実際に溺れている時には神様に助けを求めるべきだ。いつでも大変な時には祈らなければいけない。祈らなくて良いという事はない」と言うのであった。友幸は友幸で一歩も意見を譲らなかった。

友幸は神様になんでも助けを求めるような祈りはしたくなかった。

友幸が高校1年の時に英語と社会と国語の教科で欠点を取り、追試験を受け、大丈夫だと思っていた。

担任の赤土先生から夜、友幸に電話があり、「今日、職員会議で君が落第することに決定した。今後のことについての話し合いをしたいと思います。私立学校への編入を希望されるか、留年するかご両親と話し合って、私に連絡して下さい。いいですか」とのことであった。落第と聞いた時大きなショックを受けた。一瞬、目の前が真っ暗になったような気持ちで何を言って良いのかも分らなかった。友幸はただ呆然として赤土先生の電話の声を人事のようにしか聞こえて来なかった。どう答えたらよいのかも分らず、唯「はい」と答えただけであった。

母と意見が違ったように、友幸はまさにペテロが湖に沈んでしまったように、進級できずに留年してしまったのであった。母が「祈りなさい」との忠告を受けずに、主に頼ることもせずに落第してしまったのである。

母は電話の側で泣いていた。母は「あなたに言ったでしょう。あなたが神様に助けを求めないからこうなったのよ」と唯々泣くばかりであった。父は言葉もなく黙っていた。弟達と妹は何事が起ったのだろうかと心配して見ていた。友幸は母が言っている言葉も遠くから話しているようにしか聞こえてこなかった。一人になりたかったので自分の部屋に行った。そしてその日から一日中ただ机の前に座っている日が数日続いた。

その内にどこに怒りをぶつけて良いか分らない友幸は自暴自棄になり、『どうにでもなれ』と考えた。そして成績だけを優先する学校に反発を覚え、その反発が増長して人間不信にまでなってしまった。心を打ち明けて頼る人は誰もいないように思えた。

人間不信になると人間は死にたくなるものだという気持ちが分かった。友幸はその人間不信の怒りを母にぶつけたのであった。『母と口論をして泣かせてやろう』と考えて、母に文句を言ったのであった。母は8人兄弟の長女で一番口の達者な女丈夫であるという事を知らなかった。文句を言った相手が悪かった。口論では簡単に揚げ足を取られて反対に言い伏せられてしまった。

負け犬として死ぬわけにはいかない。死をあきらめた。

「人一人、口論でさえも言い伏せることが出来ない。これからどうして生きて行けばよいのか」と自らに問いかけた。その中で友幸は一つの哲学を創ったのであった。それは「人間は誰も信ずることが出来ない者なのだ。しかし、自分だけは信じることが出来るのではないか」という哲学であった。友幸は人生の黄金律でも得たかのように満足し、この哲学を頼りに生きて行こうと心に決めた。

その時である。友幸の心の内に、誰かがささやくように「あなたは、わたしを信じることが出来るか」という問いかけが起こって来た。その問いかけに、知っている限りの名前をあげ、「私は誰も信じることは出来ない」と断言した。しかし、その問いかけはなお続いて「あなたは、わたしを信じることが出来るか」とささやくのである。そこで友幸は『この問いが神様からの問いであるならば、どう答えたら良いのか』と考えた。友幸は正に向かう所、敵なしで、これからこの哲学を基にして自分の怒りを周(まわ)りの人にぶつけて行こうとした時であった。『かかって来る者は誰でも来い』と身構えた時に、神様が友幸に語りかけられたのであった。友幸は神様に怒りをぶつけようとした。しかし、神様に怒る理由がないのである。現在までの過去16年間、神様は友幸に冷淡な目で見られたことは一度もなかった。そして、友幸は神様のことを初めて考えた。しかし、神様のことが漠然として分らなかった。友幸が神を知らないのに神を信じるという事は道理ではないし、そうかと言って、神を知らないのに神を信じないということも道理ではないことに気がついた。神を知る者が信じるか、信じないかを判断することが出来るのだと考えた。友幸はその時、神を信じたくなかった。だから「神を信じない」と言っても道理に合わないことが分かった。友幸は正直な気持ちでその問いに「神様、『私はあなたを信じない』と言うことは言えません」と答えた。神は友幸の哲学、「人間は誰も信ずることが出来ない者なのだ。しかし、自分だけは信じることが出来るではないか」という哲学を壊された。友幸はこれから何を頼りに生きて行けば良いのかと無念の涙を飲んだ。しかし、次の瞬間、「『神様を信じない』とは言えない」と言うことは『神様は信じることが出来る御方かも知れない』と気付かされた。もし神様を信じることが出来たなら素晴らしいことにも気が付いた。何故なら、「たとえ、全ての人が友幸を理解できなくても、神様が理解してくれれば、それで良いではないか」と思わせられた。今までは漠然としてしか神を信じていなかったが、今此処に至って神様を自分の友として信じたくなった。

しかし、友幸が「神を信じたいから、神を信じると言う事も道理ではない」ことに気が付いた。その時に一つの疑問がわきあがってきた。神様が天にいらっしゃって全てのことを統治しておられるなら、どうして教師の採点の時に△にするか×にするかと教師が迷った時にそれを神様がコントロール出来なかったのだろうかという疑問であった。そして、そこで初めて神に「なぜ、私が落第したのか」と問うた。

その時に神様は友幸に「あなたが勉強しなかったからでしょう」ということは言われなかった。「あなたが落第もしないで高校を出て、大学に行き、社会人になって、自分の欲のままに生活して、神を知らないで死んで行って欲しくはなかった。あなたにわたしを信じてほしい為にこの問題を起こしたのですよ」と語られた。友幸は初めて落第の意味が分かった。もちろん、友幸が勉強を怠けた故に落第したのではあるが、もう一つその背後に、神様の御許しがなければ落第することもなかったのだということを知らされた。そこには深い神様の摂理があったことに初めて気が付いた。

友幸は素直に「分りました。あなたが私に信じてほしいのですね。神様、あなたを信じます」と答えた。その時に、今まで友幸の将来を塞いでいた暗雲はさっと消えてしまった。そして「今までは、神を信じないために、いろいろな問題が起こってきたが、今日、今、ここで神を信じたので、もうこれから先のことは心配することはないのだ。これからは神様が私を祝福して下さる。神様が私の為に素晴らしい計画を備えて下さるのだ」ということを確信できたのであった。

過去を振り返る時、神は友幸の人生のどん底にある時に、救いの手を伸ばされ、友幸に対する神の愛を示し、絶望と自暴自棄の中から友幸を救いあげて下さった御方であった。

「神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである」(コリント人への第一の手紙1:27,28)。

友幸は中学2年の時に洗礼を受けて以来、自らを戒め、極力、教会に励むことをし、他人に対し、両親に対し、弟達、妹に対し、暖かい目で接することに努めた。その様な中にあって、一つの壁に打ち当ってしまった。

というのは、キリスト教の聖会に出たり、夏季学校に出た時などは、罪を悔い改め、新しく決心して、今度こそはと出直し、喜んで家に帰るのであるが、1~2か月も経たないうちに元の自分に戻ってしまうということに気が付いていた。自分の罪と言う事について悩み始めた。罪を悔い改め、その翌日から同じ罪を繰り返すという、何とも情けない自分を見出した。この自分を何とかして頂きたいとの願望を持って教会に出席するが恵まれない。神の前に賛美するが何か空転している様な底が見えない状態であった。その様な中で自分の罪を神の前にも、人の前にも告白しなければならないと知らされていたが、友幸は今までの罪は牧師には恥ずかしくて決して言えるものではない。まず、神に自ら祈って解決を得たら良いのだと解釈して日々を送った。

しかし、心に解決がなかった。

昭和40年7月30日から8月2日まで、日本イエス・キリスト教団の塩屋聖書学校で中高生の夏季学校が3泊4日で持たれた時に、友幸は芦屋川教会の中高生数人と共に参加した。恵みを受けたいと願って塩屋に来たが、この夏季学校は恵まれないまま終わってしまうのだなと思わされた時に何とも言えない気持ちになって、何としても恵みを受けたいとの願いを持った。そして、集会の二日目の夜、消灯時間の後、友幸は会堂の中で一人椅子に座って祈っていた。

祈っていると、罪について示され、罪を告白するように迫られたが、「罪を悔い改めることは出来ません。主よ。他の方法で導いて下さい。この事だけは出来ません」と主に語った。

しかし、主は「罪を悔い改めなさい」と語られるので、友幸は「主よ。他の方法でと言ったではないですか。罪を悔い改めることは出来ません」と主に断言した。

その時に、主より「汝もまた、我より去らんとするのか」との声を聞いた。『世々の人々がイエスを通り過ぎ去った如く、友幸も又主より離れてしまう一人であったのか』との思いがわきあがってきた。『教会には熱心に通っているけれど、心はユダの如く、イエスを裏切り、主から去ってしまうのか』と問われたように示された。このままでは都合の悪いときには主を裏切ってしまう自分に気が付いた時、そこに居ても立ってもおられず、「主よ、私はユダにはなるまじ」と祈りつつ、夏季学校の担任の教師、工藤弘雄神学生の部屋をノックして「共に祈って下さい」と声をかけて、共に会堂の前で祈った。恥も外聞もなく、「ただ主に申し訳ない。ユダのように主を裏切ることをしたくありません」との願いの中で、今まで心の中につもり積もっていた罪を全て告白して祈った。

その時に、工藤先生が友幸に「堀内君、君は教会で奉仕をし、中高生のリーダーで月定献金もし、牧師を助けているが、それで救われましたか」と聞いて来られた。友幸はその問いに対して「それでも救われなかった」と正直な気持ちで答えた。その時にそれで、どのように工藤先生が答えるのかとの興味をもった。すると工藤先生は「そうなのですよ。友幸君の努力で自分が救われるのであるならば、キリストはいらないのですよ。友幸君が自分で自分を救う事が出来ないから、神様が救って下さるのですよ」と語られた。その瞬間、友幸の霊界の天が開けて、真理が分かった。霧が晴れ視界が開けた。謎に包まれていた人生を解く鍵を見出したのであった。

工藤先生はガラテヤ書2:20の御言葉を引用して下さった。

「我、キリストと偕に十字架につけられたり。最早、われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて、生くるなり。今われ肉体に在りて生くるは、我を愛して我がために己が身を捨て給いし神の子を信ずるによりて、生くるなり。」

「最早、われ生くるにあらず」自分と言う自我が生きる時に問題がでてくる。自分という自我が死ねば、キリストが生きて下さるという真理を知った。自分という自我が何とか生きようとあせるので、キリストは内に生きることが出来ないのだ。自我が死ねばキリストは生きて下さるのだということを知った。

工藤先生は今まで下を向いていた友幸に「堀内君、目を上にあげ、『ハレルヤ』と言って下さい」と言われたので、友幸は「ハレルヤ」と言った。

そして、共に讃美歌529番を歌った。

1. ああ嬉し、我が身も主のものとなりけり。浮世だにさながら、あまつ世の心地す。

歌わでやあるべき、救われし身の幸、讃えでやあるべき、御救いのかしこさ。

2. 残りなく御旨に、任せたる心に、得も言えず妙なる幻を見るかな。

歌わでやあるべき、救われし身の幸、讃えでやあるべき、御救いのかしこさ。

3. 胸の波おさまり、心いと静けし。我もなく、世もなく、ただ主のみ居ませり。

歌わでやあるべき、救われし身の幸、讃えでやあるべき、御救いのかしこさ。

ああ、感謝だな。「ハレルヤ」と言ったその瞬間、全てがハレルヤ(感謝)になった。そして友幸の目に入る全ての物が輝いて見えた。工藤先生と別れて階段を上って二階の寝室に行く時に「ハレルヤ。ハレルヤ」と繰り返し、このまま、天国に行くかのような喜びを覚えた。

二階に上がった時に、芦屋川教会から来ていた鈴木君が「ハレルヤ!ハレルヤ!」と独り言を言っているのを聞いて、「『ハレルヤ』て何の意味」と聞いてきたが、友幸は喜びの中にいて、その喜びを言葉に表現することは出来無かったので、鈴木君に「『ハレルヤ』だから『ハレルヤ』なんだよ」と説明するのが精一杯だった。相手は雲をつかむような思いで聞いていたが、それ以上聞いては来なかったので、寝室に行き、感謝して寝た。

その夜、夢の中で誰かが「人間はそんな簡単に救われることはない」と語りかけるのであった。

夢の中で友幸は「僕は救われた」とそれに返答しているのである。すると「君は救われたのではない。そんなに簡単には救われない」と繰り返し続けて語るのである。必死になって「僕は救われたんだ」と答えているのである。すると「それは夢だったんだ。夢から覚めると現実が分かるから、君は救われなかったんだ」と又語るのである。「これだけは夢ではない」と友幸が答えた時に夢から目が覚めた。何だか、寂しい気持ちになり、神様に友幸は「神様、昨日起こったことは夢だったのでしょうか」と祈った。

すると、主は「どうして疑うのか。『最早、われ生くるにあらず、キリスト我が内に在りて生くるなり』」との聖言をもう一度下さった。友幸はその時「主よ、疑ってご免なさい。これからは疑いという自我も心配という自我も生きるのではないのだ。主に生きていただくのだ」ということをもう一度教えられ、喜びに満たされた。

喜びに溢れて夏季学校が終わり、自宅に帰ってきた時に、友幸はまず母に「今まで、お母さんに口答えをして御免なさい」と謝った。すると、母はその言葉を聞いた時に「あなたは何時もそのように謝るけれど、又いつものように繰り返すのでしょう」との返事だった。

今までならば、友幸は『お母さん、せっかく息子が正直に話しているのに、どうして息子の気持ちをくじくようなことを言うのですか』と母に食ってかかっていたのだが、その時に不思議なように、心の平安を怒で奪われたくなかったので、母に言い返すことを止めて、別室に行って主に「最早、われ生くるにあらず。キリスト我が内に在りて生くるなり」と祈った。喜びが内に湧いてきた。

母はその時の事を後日、友幸に「あなたは、あの時から変ったね」と話してくれた事があった。悩みの雲が晴れはっきりと変えられた。喜びが内から湧いてくるのである。学校の行き帰りには友達に語りかけ、芦屋川教会へクラスの仲間を誘った。中高生のクリスマス会の時には高校のクラス仲間が14~5人程も来る事があった。

部活はESS(英会話)に入り、苦手だった英語が楽しくなり英語の弁論大会にも出場したり、文化祭の時には英語劇の主役を演じて、学生からも盛況だった。学校の生徒会長を選挙する時には選挙管理委員長を務め、高校2年の九州への修学旅行の時の演芸会には中山君と友幸が漫才をして笑いの喝采を受けた。

高校3年の弁論大会にはクラス代表に選ばれて、友幸は弁論大会で父兄・全校生徒540名と教師達の前で「我が高校生活」と題して、友幸の救いの証をした。その弁論大会に父・満が来てくれていたのを講壇の上から見る事が出来た。何故だかその時の審査委員長は今回は特別で審査評価をしませんとのことで順位は決められなかったが、友幸は救いの証が出来たことが嬉しかった。クラスに戻ると矢次早に級友達から「聖書についてもっと教えてほしい」との話題でクラスが盛り上がった程であった。

保健衛生の婦人教師が下校時、友幸に「講演が素晴らしかった。私の息子にも聞かせてやりたかった」と話しかけてくれた。そこで友幸は更に喜びを分かち合う事が出来たのであった。

友幸は毎週日曜日、礼拝後、大和銀行神戸支店に友達と二人で清掃の仕事を栄光社(父が叔父と築いた会社)から任されてした。

仕事をする時にはいつも足りないところを注意されるのであるが、友幸はいつも丁寧に平謝りすると不思議なように相手の心が和らいで、かえって同情してくれるのである。「君は若いのに感心だね。君、大学受験なんだろう。仕事しながら感心だね。君にこそ大学へ合格してほしいよ」と却って励まされるほどであった。友幸は仕事を通してどんな意地悪な人でも「はい。はい」と心から敬って、仕事をすれば、必ず、相手の心が変わることを知ったのであった。

高校生活も終わりに近づき、大学進路を決めなければならない。母は友幸に「もし、国公立の大学に入らなければ、京都の呉服問屋に丁稚奉公させる」と話していたので、友幸は数学は何時も学年でトップクラスなので、受験科目が英数国の三科目の国公立の大学を目指した。山梨県にある都留文科大学を受験した。合格の倍率が27倍であった。27人に1人の割でしか合格出来ないのである。

友幸は受験勉強した後、必ず主に祈った。祈りが20分、30分とすぐに立ってしまうのであった。祈りの初めは「神様、受験に合格出来ます様に」で始まるが、終わりには「主よ。み心を成して下さい」と祈り、平安の内に寝床に就くのであった。

合格通知が電報でくるのである。その日、母と共に祈った。電報の電文が「サクラ、サク」は合格で、「サクラ、チル」は不合格なのである。

郵便配達が電報を持って来て、友幸が受け取った。電文を読むと「サクラ、サク」も「サクラ、チル」もない。ただ「アトフミ」だけが書かれてあった。母に聞いても分らない。学校へ電話して分った。補欠合格であることを知った。友幸は神様への感謝があふれてきた。高校1年の時に落第した時、「あなたは私を信じることが出来ますか」と主から聞かれた事を思い出した。神様のご計画の素晴らしさを知ると共に信じる者に対して、真実を持って答えて下さる神様であることを知り、主への感謝は尽きなかった。