#5 古井戸

17.古井戸

奈良の関屋に叔父夫婦の大きな家に祖父母が住んでいたので何かある時には親戚一同が集まってはよく親睦の時を持っていた。祖父が栄光社の社長で息子達や娘婿達が重役であった。夏休みの時などは家族ぐるみで寝泊まりしていた。孫たちが集まると7人で友幸が孫たちの中で年長であった。そこには庭と畑があり、その隅に古井戸の跡があってそこは水が地表まであって水が溜められてあった。

友幸がある時、カエルを取りに来た時に、その水溜めにカエルが7~8匹いたので、手でカエルを掴もうとした。すると水溜めの回りが砂利だったので砂利が崩れて水溜めに落ちてしまった。友幸は慌てた。必死に砂利に手をかけてもずるずると砂が落ちるだけで上がることが出来ない。もがけばもがく程、「お母ちゃん!お母ちゃん!」と叫べば叫ぶほど水を飲んだ。離れていたので誰も来てくれなかった。泳ぎ方も知らなかったのでどうしたら良いのかも分らなかった。その時にふと水面を見たら、カエル達はじっとして水面に浮いているのである。友幸の頭の中に『そうだ。蛙のようにすれば浮くことができる』との思いがよぎった。そして蛙のように両手をこの字型にして足もこの字型にして力を抜いたら体が浮いた。そして両手で軽く砂利の上に置くだけだった砂利も崩れず、自分の体を支えることが出来た。

声を出せば力が入るので砂利が崩れてしまう。ただひたすらにじっと蛙のようにしていた。丁度、その時、お祖父さんが何か子供の声がしたように思って、庭に出て、見に来てくれた。すると、友幸が古井戸に落ちていたのである。お祖父さんと友幸の目があった。お祖父さんが「友ちゃん、そこで何してるの」と言われた。声を出すと崩れるのでただお祖父さんの目を見ていたら、お祖父さんが手を差し出してくれて引き上げてくれた。体が冷たくなっていたので、その手の温もりが今も忘れられない。今思うと、古井戸は庭の奥にあって誰にも目が届かないところだったし、誰も気がつかなかったら、体温が下がって、そこで友幸は死んでいたかも知れなかった。神様の深い憐みによって生かされてきた恵みを思うのである。(数えよ。一つづつ。数えてみよ主の恵み。聖歌605番)

18.母に叱られたこと。

我が家にとってひ弱な次男の良治と丸々太った三男の善也は対照的でよく喧嘩をした。どちらも勝ったり、負けたりであった。

友幸が母に叱られた時、よくトイレの中に入れられて、母に「そこで考えなさい」と言われた。トイレの中で考えるのだけれど、何故、母が怒るのか分らなかった。母に「分りましたか」と聞かれるのであるが、「分らない」と答えると、母は「分るまでそこで考えていなさい」と言うのであった。

友幸にとっては『何故、母に叱られたのか』分らないことが多かったので、トイレでは何が悪かったのか考えていたのであった。

母が怒ると手で叩かれた。母は手で叩くと自分の手が痛くなるので次には定規か箒で叩かれた。母は息子に悪い事をした時の痛みを知らせたかったのであろうか。

母は口癖のように「一(いち)を言ったら、十(じゅう)を理解しなさい」と言うのだが、一(いち)を言われても一(いち)も理解できない息子を見て歯がゆい思いをしたのではないだろうか。

母は友幸と良治が母の言う事をいくら言っても聞かない時には最後に「家を出て行きなさい。もう二度と帰ってきてはならぬ」と言った。その時には友幸も良治も母にひたすら許しを乞うのであった。

ある日、4才になった善也がどうしても母の言う事を聞かないので、母は善也に「家を出て行きなさい。」と叱った。すると、善也はさっさと家を飛び出し、帰って来なかった。あたりが暗くなりかけても善也は帰って来なかった。母は心配になり、友幸に「善也を探しに行って」と頼んだのであった。友幸が「善也!善也!」と叫びながら阪神電車の高架下のコンクリートの壁のところに来た時に、善也はコンクリートの壁を背にして手を広げて十字の形をして目を閉じて立っていた。彼はテレビの忍者を真似て自分では隠れているつもりなのではあるが、友幸には丸見えなのである。友幸は善也の童心な気持ちを傷つけたくなかったので、見て見ないふりをして、帰って来てそのことを母に説明した。母は善也のいるところに行き、善也に「悪い事をした時には素直に『御免なさい』と謝りなさい。そして、早く家に帰って来なさい」と話した。そして、善也はニコニコして家に帰ってきた。母はその事を通して次に善也が悪いことをした時「家を出て行きなさい」の次に「善也の今着ている洋服は私のだから出て行く時にはすべて脱いで行ってね」と言われそれから善也は家を出て行くことが出来なくなった。

夜、寝床で友幸が良治にふざけて触ると、良治は「触るな」と怒って布団を叩いた。手が触れないように布団を叩いた。故に、良治には近づかなかった。

しかし、友幸は夜、善也には物まねをしたり、おもしろい作り話をすると善也は声をあげて笑い出すのである。彼が笑いだすと笑いが止まらないので、その笑いが笑いを誘って友幸も一緒になって笑った。善也も善也で面白い話をしてくれたので、友幸も笑った。すると善也も友幸が笑うので一緒に笑うのであった。あまりにも二人の笑い声が大きいので母が「静かして早く寝なさい。近所に迷惑でしょ」と忠告した。そして二人は小さい声で話をして小さい声で笑うのであるが、一旦、笑い出すと笑いが止まらなくてすぐおお声で笑ってしまうのである。母が向こうの部屋で「静かにしなさい」と叱るのであるが、笑いは止まらなかった。

19. 妹

3人の息子が続いた後に父にとって待望の娘、恵利子が生まれた。祖父母の家には電話で喜びを伝えたのだが、引越ししたばかりの叔母の家には電話が無かったので、父は友幸の子供用の自転車に乗って2キロ程離れた義理の妹の家に吉報を知らせに行った程の喜びようだった。 父が報告をして喜びを共に分かち合った後は、その自転車を置いて徒歩で帰ってきた。

目が丸い妹は可愛くて父母も親戚縁者、隣近所の人たちからも「お人形さんのようだ」と言われて可愛がられた。恵利子はいつも兄たちが両親に叱られた時、『何で両親に叱られる様な事をするのか。悲しませる様な事をするのか』が不思議でもあり、理解出来なかった。そしていつも忙しいママのお手伝いをしたかった。ある夜母と兄は教会の伝道集会に出掛け時間が無くて洗い物が溜まっている事に気が付いた。3歳くらいの恵利子は椅子を持ってきて洗い物をし、いつもは洗わないシンクのタイルのところの汚れまで磨いて綺麗にした。でも洗ったことは母には言わなかった。そしてそれを気づいてくれた母の喜こんでくれる姿を見れる事が嬉しかった。恵利子は仕事から帰ってくるパパを玄関で待ちわびパパと一緒に過ごせる時間が嬉しかった。一番の理解者であり友であった。恵利子には父に叱られた記憶が無い。

母が膵臓癌になった時、祖母に恵利子を預けた。その時恵利子の下痢が続いた。2日間下痢が止まらなかった。祖母は恵利子がいつ目覚めても枕元で腰を曲げながら小さな声で祈り続けてくれていた。祈りの声を聞きながら子守唄の様に聞こえて眠り、又目覚める度、恵利子に吸い口で水を飲ませてくれ、手をさすり又祈り続けてくれた。2日目の朝目覚めたとき「エリちゃん信仰が与えられましたか?癒されましたか?」と祖母に聞かれ、「ハイおばあちゃん癒されました。」「じゃあ信仰を持ってお粥でも食べてみようか」と言われた。恵利子には癒された確信があったので、「癒されたのだからお粥ではなくご飯を食べます」と言った。祖母は心配になり「ご飯よりまだお粥がよいでしょう」と答えると、恵利子は「おばあちゃん、癒されたのだからご飯を食べてもいいのよ」といってご飯を食べた。その時が恵利子の神癒の信仰の原点となった。祖母は「幼子の信仰に教えられました。神様が癒してくださる時は完全なんだともう一度信仰が与えられました。活(いく)ちゃんも必ず癒されるから信仰を持って祈っていきましょう」と母に手紙を書き送った。

さて、恵利子が小学校に行き、一つの科目をのけてすべて5(五段階の中でトップの成績)であった。しかし、道徳だけが3であった。その理由は学校の試験で「あなたが病気になればどうしますか」という質問に恵利子は「神様にお祈りをする」と書き続けたのであった。学校の教科書の答えは「お医者さんにみてもらいにゆく」のであった。恵利子がそのテストを母に見せると母は頭をなぜて喜んでくれたのであった。

20. 善也の大病

善也が4才の時、家族で叔母の家に行き、よく夕食を御馳走になった。善也と同じ年に生まれた従姉妹の祐子ちゃんと駄菓子屋にお菓子を買いに行き、その時に善也はビニールチューブに入ったアイスを買った。祐子ちゃんはカップアイスを買った。そのビニールチューブに入ったアイスを食べた後で善也の体がグタリと弱ってしまった。普段なら信仰をもって祈りましょうと言う母がこれは大変な事になっていると近所のお医者様に往診してもらった。その医者は「大したことはない唯下痢をしただけお母さん大げさに考えすぎですよ」と帰って行ったが、母はどうしてもいつもと違う善也の様子に、高熱の体を冷やしながら冷たくなった足を温めつつ嫌がる善也に水分を補給させ続け、便を保管した。祈り続けたが、やっぱりこれはいつもの状態とは違う。伝染病ならば皆にも伝染してしまうと、夜に成って休診している小児科の武藤先生のご自宅まで迎えに行って、来て頂いた。先生に「何故ここまで放って置いたのですか」と言われ、事情を説明すると先生は「お母さんの処置は最善でした。でも今晩から三日間が山です。この病気は伝染病の疫痢です」と診断された。その当時、疫痢になったならば四人の内、三人は亡くなる確率であり、助かる見込みは少なかった。保険所の職員が家を消毒に来て隔離し、友幸と良治は登校禁止、外出禁止にされた。疫痢は法定伝染病であったからである。母は恵利子を祖母に預け、友幸と良治に「善也が死ぬかも知れないから、善也が良くなる様に神様にお祈りしてね」とお願いして父と母は病院へ泊まり込みの看病に出かけた。 恵利子は祖母と一緒に善也の為に「善っちゃんが死なないようにして下さい」と涙を流して神に祈った。友幸と良治も今まで善也と喧嘩してきたことを神様に悔い改めた。良治は「神様、僕の命が亡くなってもいいから善也の命を助けて下さい」と神に祈った。友幸と良治は三日間の間、毎日、朝も昼も夜も善也の為に心を合わせて「善也を死なせないで下さい」と涙を流して祈った。神様は奇跡をなし、善也の命が保たれ、善也を癒して下さった。そして一か月後に退院して家に帰って来た。友幸と良治が善也を見た時、善也を神様が癒して下さった弟として感動と感謝と厳かな気持ちを持って迎えたのであった。