#3 弟

9.弟

1951年8月、友幸の弟、良治が生まれた。母が病気の中でのお産であったから、良治の体は痩せて手と足は骸骨のように細かった。頭だけが大きくて目も大きかった。良治はいつも母の寝床に寝かされていた。良治が弱い体であったので泣くこともしない赤ちゃんであった。泣くときはひ弱に「ヒーヒー」と小さな声で泣いた。隣の沖中のおばさんが母に「良ちゃん泣かないね」と言ったら、母が「神様は私に赤ちゃんをおぶってあやす力がないのを知って、良治が泣かないようにして下さったのよ」と答えた。沖中のおばさんは「なるほど、そうか」と感心したのであった。

良治は重篤な小児結核に掛かった。当時は肺結核にかかると8割は亡くなっていた。医者に診断して頂くと一本2000円の新薬マイシンを40日間続けると治る可能性が有るとのことであった。一般家庭では用意出来無い金額である。母の叔父は大手銀行の重役だったのでお願いしたらすぐにお金を届けると言って下さった。しかし良治の細い腕に注射を打ち続ける事の可哀想な事、『これ以上この小さな体に痛い思いはさせたく無い。注射ではなく神様に委ねよう、癒していただこう』と母は決心した。神様に「助けて下さい」と祈り続けたが良治の高熱は続いた。布団に寝かすと気道がふさがって息苦しそうにむずかるので、夜もずっと抱きながら眠らせていた。一ヶ月位したある日祈りながら抱っこをしていたのだが、疲れのあまり良治を布団に寝かせて母も眠ってしまったのである。朝の日差しの眩しさに気が付いた時、良治の顔を日差しが照らし出していた。

思わず良治の頬を触ると冷たかった。『ああ良治を一人で死なせてしまった。神様許して下さい』と涙で祈ったその瞬間。良治が目を開けて微笑んでくれた。神様は眠っている間に癒して下さった。その朝以来、良治の高熱は平熱になり完全に癒されたのである。

10.いたずら

友幸が5才の時、近所の友達と一緒に近所の人が飼っている鶏小屋に行き、Kちゃんが卵を無断で取って釘で穴を開けて卵の中身を吸った後、今度はもう一つ卵を取って、それに釘で穴を開け、友幸にも「飲めよ。おいしいよ」と誘惑したのであった。わたしはためらった。「飲むべきか。飲まざるべきか」考えていた。するとKちゃんは「もう開けてしまったのだから、見つかったら友ちゃんも叱られる」と言ってきた。『そうか。飲むしかないのか』と後ろめたい気持ちで飲んだ。飲むとそれはおいしかった。病みつきになりそうだった。Kちゃんは空の卵を元に戻して置いたので、友幸も真似して空の卵を元に戻して置いた。子供の悪知恵なのですぐに家主に見つかるのであった。

近所のガキ大将のRが手下を連れて山の畑に行ってさつま芋を掘り返して、断り無しで皆に分けた。友幸も手下の一人であった。皆がするのでそれ程悪いとは感じなかった。

その連中が夏ミカンが一杯なっている木の持家に入って、誰がその夏ミカンを取ることができるかと話し合った。木に登るのは太くて高いので誰も出来ない。もし取ろうとすると、家主にすぐに見つかってしまう。友幸はそういう時に悪知恵が働いて「僕がやる」と言ってその家に入っていった。ガキ連中は驚きの目で友幸を見ていた。友幸は家主のおばさんに「夏ミカンを下さい」と言った。そこまでは良かった。おばさんは「どうして夏ミカンがほしいの」と聞いてきた。そこで咄嗟の嘘がでてきた。「赤ちゃんが生まれたのでお母さんの為にミカンを下さい」とウソをついた。おばさんは喜んで夏ミカンを二つくれた。皆も喜んで「俺にくれ」と言ったが、友幸は「これはお母ちゃんのものだ」と言って、誰にも渡さなかった。ガキ連中は「友ちゃんは欲張りだ。友ちゃんともう遊ばない」と文句を言われたが、気にせずに家に持って帰って、「夏ミカン貰って来た」と母に渡した。すると母は「どこの方から貰ったの。挨拶に行かなければならないから」としつこく聞いてきた。向こうの方と手で指をさした。ある日、母と歩いている時に、夏ミカンの木がなっているその家の前を通った時に、母が「ここの方からもらったの」と聞いてきた。友幸が「うん」と言ったので、母はそこの家に挨拶をしに入って行った。母にばれて叱られるのを覚悟していた。すると母はにこにこして夏ミカンをまた貰って出てきた。叱られなかった。そこのおばさんは「子供がお母さんのことを思って『夏ミカンを下さい』と言われたのは初めてだった」と感心したことを母に話したのであった。友幸は複雑な気持ちでいた。良心の呵責の中で母にほめられてもちっともうれしくなかった。良治はすでに2才になっていたので赤ちゃんは家にはいなかったのであった。

良治は全く友幸と別で、母の言うことをよく聞き、素直で優しく母に叱られたことは一度も無かった。良治が悪いことをしないということが友幸にとって不思議でしかたなかった。

友幸は良治に悪いことをさせて一度でもいいから母に叱られるところを見たかったのである。ある日、友幸は良治を母のいない時に呼んで、指を舐めてその指で障子に穴を開けることを教えた。

良治は一向に悪いことには見向きもせず、兄の言葉にも耳を傾けなかった。しかし、友幸も友幸で、しつこく良治に「やってごらん。楽しいよ」とその面白さを説明した。良治は長くためらった後、指で障子に穴を開けたのであった。それだけならまだいいのだが、友幸は良治に「お母さんに叱られる」とはしゃいだのである。良治の顔が『どうしよう』という悲しみの表情に一変した。

母が家に帰ってきた時に障子に一つの穴が開いていた。母はとっさに「誰が障子に穴を開けたの」と大声で言った。友幸は良治が叱られることを期待していた。母は友幸を呼んで「謝りなさい」と言った。友幸は「僕はやらなかった」と言ったが、母は「家の中であなたと良治しかいなくて、良治はそのような事をする悪知恵もない。あなたしかいないでしょ」と言って結局友幸が叱られたのであった。

「現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することは出来ない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである」(ヨハネ第一,4:20-21)。

11. 迷子

友幸は5才の時、母は病気から回復し、毎日曜日、大阪西成にある兄弟団今池教会へ母に連れられて行った。教会では大人20数名が大きな声で賛美をし、お祈りをしていた。
友幸も会衆の中に入ってお祈りも賛美もしたかったが、まだ字も読めなかったので会衆の中に加わることは出来なかった。しかし、教会では礼拝の最後に『主の祈り』を持って終わっていた。そして友幸は『主の祈り』の最後の「国と力と栄とは限りなく、汝のものなればなり。アーメン」という箇所だけを覚えて、その箇所が来たら、出来るだけ大きな声で友幸が唱和した。あまりにも友幸の声が大きかったので、教会員皆が感動と驚きの笑いで一斉に友幸を見ていた。それが友幸にとって唯一の礼拝参加であった。教会には親戚一同が出席して、帰りには皆で露店街を通り、一駅程歩いて家に帰った。

教会からの帰り道、友幸と母は手をつないで歩いた覚えがない。母は買い物が好きで良治をお祖父さんにおんぶしてもらって商店街の中を走り回っていたので、友幸は母の後をついて歩くことが出来ないことを知っていた。だから、友幸は義理の叔父に手をつないでもらって歩いていた。露店街には子供のおもちゃや、旅芸人の猿回し等があったので、友幸は叔父の手を離して、叔父の後姿を見ながら付いて行った。しばらく経って、叔父に手をつないでもらう為に彼のところに行った時、その人は叔父とそっくりな後ろ姿をした見知らぬ人であった。その時に、前に走れば良かったのに、5才の知恵で、最後に叔父を見た所に後戻りした。そこに叔父がいる筈はなかった。子供ながら慌てた。あまりにも多くの人が行き来していたので泣くに泣けなかった。

そこへ見回りの巡査が自転車を引きながら歩いてきた。友幸は叔母に「悪いことをしたら警察が来て、牢屋に連れて行かれる」と聞かされていたのでその巡査に話すことが出来なかった。友幸が見ている前で巡査は人混みの中に消えてしまった。そして、又、その巡査が来た道を帰ってきたが、友幸が巡査に話そうか、話すまいかと躊躇している間に彼はもと来た道を帰って行った。

友幸が今にも泣きそうな顔をして人々の間を行ったり来たりしているのを見ている一人の人がいた。その人と友幸の視線があった。直ぐにその人について叔母から「人さらいがいるから見知らぬ人について行ってはいけない」と聞かされていたことを思い出した。

友幸はおどおどしていた気持ちを変えてあてもなくさっさと歩きだし、露店街から一つ角を曲がって、『僕は自分の家に帰ろうとしている』という振りをして歩いた。しかし、角を曲ったのはよかったものの、その道の正面が壁で行き詰まり、両側の家々の玄関の戸は固く閉められていた。家と家との間に隙間はなかったものの、正面には段ボール箱が捨てられていて山積みになっていた。その段ボール箱の後ろの空間を見つけて隠れた。泣くことも出来ない。黙って隠れていた。何時間経過しただろうか。その路地の端にある家の主人が出てきて、じっと友幸の隠れているのを見ていたが、気がつかなかったのか、何も言わずに家に帰ってしまった。周囲が薄暗くなって来たので、そこから這いだして、その見知らぬ人がいないことを確かめて、又商店街へ出た。丁度、そこへ巡査が又、見回りの為に通りかかった。友幸はもうその時には巡査に「ぼくのお母さんがいない」と声をかけた。すると巡査が「迷子か」と聞いた。恥ずかしかったが「そうだ」と言ったら、巡査が優しくなって友幸を自転車の荷台に乗せてくれた。西成警察署に行く途中、多くの人が友幸を奇妙な目で見ていた。友幸はもう『どうにでもなれ』と観念して座っていた。

警察署の前で今池教会の森牧師に会って、友幸を引き取ることを求めたが、その当時、森牧師は丸坊主で目がギョロっとしていたので、何故かその巡査は友幸を引き渡さなかった。

警察では身元を調べその身内のものでなければ引き渡すことをしなかったのであった。

母も親戚の人達も大阪駅で初めて友幸がいないのに気がついた。警察に電話をし、友幸が西成警察署にいることが分かった。早速、叔母と義理の叔父がタクシーで友幸を迎えに来てくれた。友幸は泣かなかった。叔母が心配して「お姉ちゃんも、お姉ちゃんやね。友幸、怒ったらあかんよ」と言ってはくれたが友幸の心の中にだんだんと怒りが湧いてきた。大阪駅で母が待っていた。友幸は母に会うなり、『どうして僕をほおって行ってしまったのか』という怒りで母を何回も叩いた。そして何回も蹴った。母はその時、友幸に叩かれるまま、蹴られるままで泣きながら友幸を抱きしめた。そして友幸もそこで初めて一緒に泣いた。

「春は軒の雨、秋は庭の露、母は涙かわく間なく、祈りと知らずや」(讃美歌510番)。

12.家庭集会

友幸と母が大阪の今里にある澤村祖父母の家庭集会に出席したことであった。そこでは皆が畳に座って一人一人祈っていた。母は頭を前後に上下しながら祈るのが常であった。母はその時、友幸を膝の上に乗せていた。母の祈りの番が来て声を上げて祈りだした。母が祈りつつ頭を前に下げてくると、丁度、母の顎と友幸の頭が当たった。友幸は母の顎が当たらないように友幸も頭を下げた。母は友幸のお腹に手を回して抱えていたので、友幸は逃げることも出来なかった。母は尚も祈りつつ頭を深く下げて来たので友幸の頭に当たることは避けられなかった。友幸にとっては不愉快なので逆に自分の頭を後ろに反り返った。案の定、母の顎と友幸の頭の衝突が起こった。母は祈りの途中、「痛い」と叫び、手を離したので、友幸はそそくさとその場を離れたのであった。皆も何事が起ったのかと一斉に母のほうに目を向けていた。

母はよく友幸と良治を家庭集会の時に森牧師の前に連れて行き祝福のお祈りをお願いした。森牧師は友幸の頭を両手で押さえるようにして祈りだした。祈りに力が入ると同時に手にも力が入り、友幸の頭は痛かった。友幸は黙っていた。良治の番が来た。牧師が良治の頭を押さえた時に、痛みのゆえに、良治は「頭を触るな」と大きな声で言った。良治が2才の時であった。牧師も皆も笑っていたが、牧師は按手せずに良治を祝福した。友幸は弟の大胆さに感服した。