#2 嫉妬

友幸が1才の時に近所の斎藤さんの家に女の子(静代)が生まれた。静代のお母さんはお乳が出なくて困っていた。活子は友幸のお乳がでていたので、静代にも飲ませていた。友幸は自分のお乳を静代が飲みだしたのを見て、友幸は母を静代に取られたような嫉妬を覚え、静代の頭を母のお乳から無理に離した。しかし、静代は直ぐに頭を母につけて又飲みだした。友幸は又、静代の頭を母から離したので静代が泣きだした。母は友幸が嫉妬しているのを傍観して怒りもしなかった。その時、友幸は静代が自分よりも弱い者で、自分が強い者だという自覚と静代には自分の助けが必要だという思いを初めて持ったのであった。

4.看護

友幸が3才の時、母はカリエスに罹り、寝たきりの病床の人となった。友幸は叔母に「お母さんの傍に近づいてはいけないことと、お母さんと話をしてもいけない」ことなどを注意された。

友幸の日課は母のところに牛乳をあたためて持っていくことであった。友幸は既にガスコンロに火をつけることを母から教わっていた。昔のガスコンロは自動式ではなく、マッチに火をつけながらガスの栓を開くことであった。それは友幸にとっては難しいので、まずマッチに火をつけて、それをガスコンロの上に置き、そしてゆっくりとガス栓を開くことを母が実際にやってみて、友幸にさせてみて覚えさせた。簡単に火がつくのではなかった。ガス栓を早く開けるとガスの勢いでバンと爆発音と共に火が消えてしまう。そのときにはあわてずにガス栓を元に戻すことを教わった。そして、もう一度はじめから繰り返すのであった。(続く)

 5.子供の躾

友幸が幼児の頃、寝小便をしたという記憶がない。いつも朝早く母は友幸が出来ることを考えて寝室の引き戸を開けて、縁側から庭に小用をさせた。子供として三つの戸を開けて朝早くトイレに行くことは無理であること知っていたからだ。幼児の反応は直ぐにしてあげなければならなかったからである。これらは母が如何に知恵ある教育を友幸にしたかを物語る。

6.甘え

友幸がいつものように母に牛乳を温めて持って行った時、いつもは牛乳を母の傍において、すぐ隣の部屋に行くのだが、その日に限って、友幸は母の枕辺に座っていた。というのは、友幸は母と話したかったし、母の傍にいたかったからだ。母はそれを察したのか、「飲んでごらん」と言って、友幸にスプーン一杯の牛乳を差し出した。当時、牛乳は高価で病気の母にしか飲めなかったのであった。友幸は一度、母のことを思って断ったが、「飲んでもいいのよ」と言って母がもう一度差し出した。友幸はその牛乳を飲んだ。友幸が母の傍を離れないので、母は自分の布団の端に友幸が横たわるスペースを作って、「ここで一緒に横になってもいいよ」と言った。友幸はすぐ母の横に寝転がった。その時、友幸は母と心の中で通じ合ったという安心と満足を覚えた。

友幸が3歳の時腸チフスにかかった。夕方から下痢が続いていたが、母はカリエスの高熱で動くことが出来なかった。その日は丁度父の夜勤の日であった。母は只管祈った「神様誰か助け人を起こして下さい。」健気に自分でお湯を沸かして下痢の始末をしている友幸を励ましながら涙が溢れ祈り続けた。するとお昼まで来て下さって帰っていたお手伝いのおばさんの声がした「ガスを付けっぱなしにした様な気がして、大丈夫ですか?」と戻って来て下さった。神様は折に叶う助けを与えて下さるお方。祈りに答えて下さるお方であることを感謝した。

7.怪我

友幸が4才の頃、家の近くに工事中の溝があり、鉄棒の杭がそこに出ていた。それはバネのようになり、踏むとその鉄棒のバネの勢いで友幸を飛ばせた。それが面白くて何度も踏んでは飛んでいたのである。近所の一つ下の斎藤静代ちゃんが側を通ったので、自分が踏んで飛んで見せた。目が静代ちゃんに向けていたから、溝に滑って転んで3センチ程の深さで5センチの長さにわたって鉄棒の杭が自分の右足の太腿に食い込んだ。ようやく横に向きをずらして杭から離れて溝から這い上がり、家まで20m程の道を右足を引き摺りながら家に帰った。血の痕跡が溝から家まで続いていた。母は寝たきりの病人である。母を困らせたくなかったけれど、友幸は母に「足を怪我した」と言った。

母は慌てることなく、「神様にお祈りしなさい」と言って母は寝床で、自分は玄関の土間で一緒に祈った。友幸が転んだのを目撃した静代ちゃんが静代の母に告げ、斎藤さんがすぐに飛んで来た。友幸を見るなり、母に「堀内さん、友ちゃんが怪我をして、溝から血の跡がここまで来てるのよ」言った。母は「大丈夫です。神様にお祈りしたから」と答えた。斎藤さんは「何を言ってるのよ。あなたは友ちゃんを見ていないから分らないのよ。私は友ちゃんを病院へ連れて行きます」と言ってくれた。友幸もその時は不安だった。「お祈りしたけれど、この怪我は普通の怪我ではない。大丈夫かな」と思っていたのであった。疑心暗鬼の中での斎藤さんの言葉はまさに友幸にとって助けに船だった。斎藤さんは友幸を病院に連れて行き、右足の太ももに十針縫う手術をした。その当時、母は母自身が生きることも死ぬことも神様に任せて全く信頼していた。母は友幸にどんな時にも恐れないで神様を信じることを教えたかったのであった。

「生きるのも死ぬにも、わたしの身によってキリストが崇められることである。わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である」(ピリピ人への手紙1:20-21)。

8.通院

それからは友幸は歩くことが出来なかった。病院へは父に負われての通院だった。母は友幸に「お父さんに感謝の言葉を言いなさい」と教えたのであった。

故に友幸は父に背負われて通院する時に父に‘ありがとう’という言葉を言おうとすると、緊張してどもって言葉が出てこず、ことばを言う為には体を揺すらなければならなかった。何度も何度も父の背中で体を揺するのである。しかし、言葉が出てこない。父は友幸が体を揺する為に余計に重さがかかるのである。父は父で「友幸、じっとしていなさい」と言われる。しかし、友幸は友幸で『お父さんに感謝のことばを言いなさい』と母に言われたので、体をもっと揺するのである。父に又「じっとしなさい」と言われる。そしてようやく「オートーサン。アーリーガトウ」とどもりながら言った。